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2 いま、大学の何が問題なのか?(その2)

 昨日、「いま、大学の何が問題なのか」というブログを書き、フェースブックでも紹介したら、いいねやシェアが相次ぎ、ブログの読者数が一瞬のうちに数百人に。おとといの内田さんの話に出ていたYouTube視聴者数百万人には遠く及びませんが、インターネットの拡散の早さに驚きました。賛同の声も多かったのですが、「こんな批判的な発言をして、立場は大丈夫ですか?」というような誤解も。読者が増えると賛同者も批判者も誤解も増える。政治家が前言撤回する気持ちもわかる気がします。もちろん、失言はしていないので前言撤回はしませんが、誤解は解いておきたいと思います。

 重ねて強調しておきますが、僕は慶應の大学教員や執行部や一貫校教員の批判をしているのではありませんからね。伝統はダメだから革新すべきだ、という図①の二項対立図式をあおろうとしているのではなく、拙著『思考脳力のつくり方』でも述べたように、②伝統と革新のバランスが大事だと思っており、慶應義塾ではそれがうまく行っていると思っています。もちろんやや刺激的で挑発的な書き方もしましたが、それを許容するイノベーティブな雰囲気が慶應義塾にはあり、だからこそその一員として書いているわけです。そもそも新しいことを行ってリーダーとなることを伝統としている学校ですので。つまり、慶應義塾の場合は、革新こそ伝統。伝統と革新はバランスしているというより融合している③というほうが正確かもしれません。
伝統と革新
 で、「大学の22の問題点」を書いたのも、慶應義塾ではそれを解決しようと色々な試みが多面的・重層的に行われていて、その一つが我が慶應SDMである、ということを次に述べたかったからなのです。慶應義塾批判どころか、肯定ですので、誤解のなきよう。立場上、補足説明でした。

 さて、では本題に入りましょう。慶應義塾では、22の問題点を、どのように解決するのか!?
 ひとつは、これまで脈々と受け継がれてきた学問の伝統に対して、カウンターパートの新しい大学院を作るという方法である。そして、もうお気づきのように、それが慶應SDMである。SDMでは、これらすべての問題を解決しているのである。誇大広告でも、強がっているのでもなく、本当に、前述のすべての問題に対して手を打ってある。日本のどこにもこれまでなかった新しい大学院である。いや、世界にも例を見ない。類似のものはあるが、同じコンセプトのものはない。つまり、全く新しい。日本発の、次代を作る大学院なのである。
 もうひとつは、伝統の中にも革新を埋め込むこと。つまり、慶應義塾全体における22項目に対する対応である。

 そこで、以下に、22項目に対する慶應SDMの対応、および、慶應義塾自体の対応について述べよう。

<慶應SDMの、22項目への対応>

(1)大学教員の世間知らず
→教員のほとんどは企業、事業体経験者や、海外経験者、起業経験者である。私も、メーカーに勤めた経験があるし、日本の国立大学、アメリカの公立大学と私立大学も経験してきた。最近は合同会社の起業にも参画した。このように、世間知らずではない教員を慶應SDMではそろえている。

(2)研究至上主義
→もちろん研究も重視するが、教育と、社会活動も重視。研究成果も、学術論文になるかどうかだけでなく、成果が社会で役に立っているかどうかを重視。よって、研究至上主義ではない。

(3)社会のニーズの不理解・勘違い
→SDM学の一部では、社会のニーズを理解すること自体を学問として研究している。要求工学やフィールドワークなどである。つまり、社会のニーズの理解をSDM学という学問体系の最重要項目の一つと位置付けている。

(4)育成する学生像の勘違い
→慶應SDMの博士課程は学術研究重視だが、修士課程は基盤学問の理解に基づく実践力育成を重視している。ただし、従来型の研究者育成を行わないわけではなく、学生のニーズに応じて、従来型の研究能力の育成も鋭意行う。

(5)研究分野の縦割り化・重箱の隅つつき化
→SDM学は、研究分野横断型の学問である。学問そのものが、縦割りと重箱の隅つつきの対極を目指している。

(6)研究体制の縦割り化、知識偏重型研究の蔓延
→教員間、学生間の連携研究を重視している。国内外他大学、研究機関、企業との連携も重視している。また、基礎知識も重視するが、ゼロから新分野を開拓することも重視する。つまり、研究体制は縦割り型ではなく、研究は知識偏重型ではない。

(7)高度専門職業人育成の誤解
→前述のように、研究者育成も行うが、過半数の社会人を含む多くの学生は、実践的能力育成を求めている。もちろん、実践的能力とは、すぐに社会で役立つ小手先のスキルという意味ではない。大規模で複雑な世界をシステムとして理解し、イノベーティブなデザインを行い、適切な判断のもとでリーダーシップを取れるような基盤能力である。このようなニーズに配慮し、各人の希望と適正に応じて、専門性と分野横断的俯瞰性をバランスよく育成する。

(8)学問間の壁を越えた俯瞰型・問題解決型学問の不在
→SDM学自体が、前述のように、学問間の壁を越えた俯瞰型・問題解決型の新しい学問である。

(9)教員待遇の社会主義的平等主義
→これは大学の給与規定に従っているため学内他学部・研究科と同じ方針だが、そもそも私立大学は副業もできるため、能力と希望に応じて多様な活躍は可能である。

(10)教員評価の研究偏重
→慶應SDMでも研究業績を最優先するが、教育や他の活動も考慮して、研究科教員全員がチームとして補完し合うことによって全体として力を最大限発揮することを重視している。

(11)偏差値至上型大学ランキング
→慶應SDMの入試で課すのは、修士課程の場合、提出書類の他、小論文と面接のみである。博士課程の場合は、研究計画書を含む提出書類と面接のみであり、基本的に偏差値とは無縁である。

(12)画一的入試
→慶應SDMでは、何らかの分野ですでに専門性を持つ多様な人材に来てもらいたいので、前述のように面接などのフレキシブルな入試で多様な能力を多面的に判断している。

(13)国際性の欠如
→MIT、スタンフォード大、デルフト工大、スイス連邦工科大、アデレード大、シンガポール国立大などの国外一流大学と、学生の留学や教員による授業の相互乗り入れなどの契約を交わし、国際連携教育、国際連携研究を活発に行っている。英語の授業も完備しており、秋入学の学生を中心に、英語のみでも修了できる。このため、留学生も増加の一途である。

(14)経営者不在
→起業経験者や企業での管理職経験者が、専任教員、非常勤教員、学生の中に多数いるため、彼らの意見を聞きながら大学院の運営を行っている。前述のように、現在研究科のトップである私自身もデザインファームを合同会社として起業し経営中である。

(15)過酷な大学受験と不平等な就職待遇
→前述のとおり、慶應SDMでは従来型の入試は行っていない。

(16)就活の長期化と迷走
→過半数が社会人学生(企業派遣学生、働きながら学ぶ者、および、会社をやめて来た学生)であるため、就職活動を行なうのは、会社をやめて来た学生と新卒学生のみであり、全体の三分の一程度であるが、彼らの就職実績は極めてよい。よって、就活の長期化と迷走とは無縁である。

(17)学生の無気力・無ビジョン
→これも慶應SDMには当てはまらない。過半数の社会人学生のモチベーションが極めて高いため、半年もたつと新卒学生も生まれ変わったようにたくましくなる。社会の縮図のような多様性が気力とビジョンを植え付ける。授業で「質問は?」と聞くとたくさんの手があがるのは、海外の大学のよう。

(18)初等・中等教育者の不理解・勘違い
→現時点では慶應SDMは初等・中等教育に関与していないが、将来的には、SDM学を初等・中等教育にも展開したい。コミュニケーション、チームでの協働、リーダーシップとフォロアーシップなどは、初等・中等教育でも十分教育可能である。

(19)博士課程学生の狭い視野
→慶應SDMの博士課程学生は、物事を学問分野横断的にシステムとして俯瞰的に見据え、全体から詳細までデザインしマネジメントすることをめざして入学し、投稿論文を執筆するとともに社会の問題を大きな視野で解決することを目指している者ばかりである。よって、基本的に、視野の広い学生が多く、また、俯瞰的学問であるSDM学自体が視野を広げる効果を持つ。

(20)多すぎる大学院学生定員
→産業や学問的意義が失われつつある分野では学生定員を削減すべきであろう。一方、SDM学は時代の要請によって生まれた新分野であり、社会のニーズが極めて大きい。よって、入試倍率も高く、今後定員を拡大すべきであろうと感じている。単独の(学部を持たない)日本の大学院は、近年、学生集めに苦労していると聞くが、慶應SDMは逆に年々倍率が高まっている。

(21)社会人再教育システムの不備
→慶應SDMはまさに社会人再教育システムであるという一面を持つ。修士課程学生の4割弱は新卒学生であるが、6割強は、20代から60代まで、幅広い世代の社会人である。博士課程学生の場合は、さらに社会人比率が高い。

(22)社会の声を聞く仕組みの不備
→まず、慶應SDMでは外部評価制度を構築しており、国内外企業・大学の有識者による評価を受けている。また、そもそも、学生の過半数が社会人学生であることから、彼らの満足度を聞くこと自体が社会の声を聞くことに相当している。学生に満足度調査をしたところ、「文系・理系の枠を超えた分野横断的な多様な人材の交流」「様々な社会ニーズを理解したり、自分のテーマの位置づけを明確化する能力の向上」「創造性開発手法やディスカッションに基づき新たなアイデアを創造する能力の向上」「自分の専門以外の幅広い知識・能力の向上」「学生と教員のモチベーションの高い活気のある講義」「木を見て森も見るシステム思考力の向上」「ディスカッションやグループワークを企画・運営するリーダーシップ能力の向上」などの点で、学生は、従来型の大学院に比べて圧倒的に高い満足度を得ている。

 以上、慶應SDMは大学の問題点22項目すべてに対処していることについて述べた。
 引き続き、我田引水で恐縮だが、学校法人慶應義塾においても多様な方法で22項目に対処していることについて述べたい。もちろん、学校法人慶應義塾が打った手の一つは、2008年に慶應SDMを作ったことなのであるが、それ以外にも様々な工夫がされている。もちろん、私は大学経営者ではないので、私が知る限りの部分的な情報を述べるに留まるが、要するに、述べたいことは、22項目は解けない問題なのではなく、私たちが様々なやりかたで解こうとしている、解ける問題であるということである。

<慶應義塾の、22項目への対応> (前野の私見であり、慶應義塾の公式見解ではありません。)

(1)大学教員の世間知らず
→慶應義塾大学全体には、作家や政治家経験者や企業経験者、経営者など、多様な教員がいるのは周知のとおりである。

(2)研究至上主義
→たとえば教養研究センターでは、三田の家、芝の家、カドベヤといった地域での実践活動に基づく教育を行っている。SFC(湘南藤沢キャンパス)では起業や地域課題の解決など多様な活動を行なっている。もちろん慶應病院では医療を行っているし、理工学部では企業との共同研究が活発に行われている。つまり、社会から独立した研究のみならず、社会とつながった研究もおこなわれているし、研究にはなりにくいような教育活動、その他の活動も多面的に行われている。

(3)社会のニーズの不理解・勘違い
→先ほども述べたように、広い意味での社会のニーズを考慮する仕組みは多くある。多様な教員と学生もいる。また、たとえば、評議員会のように、産業界などの重鎮が評議員として慶應義塾の運営方針に対して意見を言う場も設けられていて、社会のニーズは十分に採り入れられている。

(4)育成する学生像の勘違い
→たとえば文科省資金によるリーディング大学院「超成熟社会のサイエンス」では、多くの研究科の協力のもと、新しい産業をリードできる大学院教育を実践している。

(5)研究分野の縦割り化・重箱の隅つつき化
→たとえばSFC(湘南藤沢キャンパス)は文理融合の新しいやり方。たとえば理工学部のシステムデザイン工学科は機械工学、電気工学、建築学などの工学ディシプリンを横断した学問の体系化を志向している。大学院メディアデザイン研究科は、デザイン・テクノロジー・マネージメント・ポリシーを横断した学問を志向している。産業研究所、グローバルセキュリティー研究所など、学際的な研究を行なう組織も少なくない。

(6)研究体制の縦割り化、知識偏重型研究の蔓延
→たとえば私がリーダーをしている文科省グローバルCOEプログラム(2008年度から2012年度まで)は理工学研究科とSDM研究科の連携に基づいているし、このグローバルCOEプログラムと、医学系、人文系のグローバルCOEプログラムが連携して先端知性研究所を作るなど、多様なコラボレーションを行っている。

(7)高度専門職業人育成の誤解
→前述のように、学際的な研究分野、研究組織を志向した試みは数多い。

(8)学問間の壁を越えた俯瞰型・問題解決型学問の不在
→前述のように、SDM以外にも、システムデザイン工学科、メディアデザイン研究科、産業研究所、グローバルセキュリティー研究所など、学際的学問を志向した組織は多く存在する。

(9)教員待遇の社会主義的平等主義
→SDMのところでも述べたが、教員は能力と希望に応じて多様な活躍が可能である。

(10)教員評価の研究偏重
→一部には研究業績以外の能力を重視して雇用されている教員もいる。たとえば、知的所有権部門、情報処理教育、語学教育など。

(11)偏差値至上型大学ランキング
→誤解しないでほしい点がある。私が思うには、慶應は、東大を頂点とする、偏差値で輪切りにされた大学の一つではないという点。偏差値は、大学に入る人の、入試という指標による最低限度(普通は入れる可能性が50%のライン)を表すが、慶應は偏差値のすぐ上の人だけが入っている大学ではない。上は青天井。どこにでも入れるが慶應に一番来たいから来た、という者が少なくない。それから、次に述べるように、偏差値以外の指標で秀でた人も多く学んでいる。

(12)画一的入試
→慶應は、一貫教育校からの進学、指定校推薦、AO入試、帰国子女入試など、様々な入学形態で学生が入学してくる。一般入試もあるが、すべてではない。

(13)国際性の欠如
→慶應には、帰国子女入試もあるし、ニューヨーク学院もある。外国人教員も多いし、国外大学や企業との連携も活発に行われている。私も慶應の様々な学部から集まった学生を引率してケンブリッジ大学ダウニング校でのサマースクールに行ったことがあるが、国際的ですばらしかった。

(14)経営者不在
→SDM以外にも、もちろん、起業経験者や企業での管理職経験者がいる。前出の評議員会では一流企業のそうそうたる方々が経営に目を光らせてくださっている。よって、慶應義塾には経営者不在はあてはまらない。

(15)過酷な大学受験と不平等な就職待遇
→先ほども述べたように入学形態は多様であるし、就職先も多様である。SFCやSDMでは起業する者も少なくない。

(16)就活の長期化と迷走
→お陰様で就職実績は全塾的に悪くない。

(17)学生の無気力・無ビジョン
→創立以来の独立自尊の空気といおうか。慶應には独特の雰囲気があり、無気力・無ビジョンの学生は基本的に少ないと思う。

(18)初等・中等教育者の不理解・勘違い
→慶應義塾には、小学校から高校まで、多くの一貫教育校がある。一度入れば受験がないので、伸び伸びと身体と心を磨くことができるし、好きなことにとことん熱中できる、というのが一貫教育校の素晴らしさである。学校ごとに独特の校風があり、それぞれ熱心な教育が行われており、不理解・勘違いとは無縁である。

(19)博士課程学生の狭い視野
→たとえば前述のグローバルCOEプログラムでは、博士課程学生教育における理工学研究科とSDM研究科の連携、さらには医学部や文学部との連携も行っている。これらは学生の広い視野育成に寄与していると考えられる。

(20)多すぎる大学院学生定員
→定員を満たしている大学院は少なくない。よって、時代のニーズに合致した大学院教育を行っているといっていいのではないか。

(21)社会人再教育システムの不備
→慶應SDM以外にも、同じ日吉駅前の協生館には、ビジネススクール(経営管理研究科)とメディアデザイン研究科が入っている。これら3つが独立大学院であり、多くの社会人に門戸を開いている。協生館という名称は造語だが、社会と協力して生きていこうという意味。

(22)社会の声を聞く仕組みの不備
→前述の評議員会はじめ、社会との交流は盛んであり、社会の声を聞く仕組みは多様である。

 以上のべたように、慶應SDMないしは慶應義塾は、日本の大学一般が持つ問題点に対して多くの改革を行ってきた。まさに、福澤諭吉先生以来、改革することが伝統なのである。
 さて、次章以降では、いよいよ、私達の大学院について、詳しく説明していこう。次の章では、まず、言葉の定義を説明したい。
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