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1 いま、社会の何が問題なのか?(その2)(1月5日の続き)

本の原稿をブログで書く、と決めたものの、やはり日々の仕事に終われ、なかなか進まないですね。今日は、1 いま、社会の何が問題なのか?(1月5日)の続きを。

ボトムアップとトップダウンの綱引きが続く
 世界中の人々が、ボトムアップに様々な行動を起こし、様々につながりあえる様を強調してきた。これは間違いなく大きなうねりである。では、それだけでことは足りるのだろうか。
 この大きなうねりと、対抗するもう一つの大きな力の綱引きが続く、というのがこれからの時代の基本だ。もう一つの力とは、現状維持勢力ないしはそれを利用する勢力である。つまり、現代をマクロな視点から単純図式化すると、ボトムアップ型のネットワーク化社会の進展とトップダウン型の従来規範の揺れ戻しというふたつの大きな力のせめぎ合いとして捉えることができる。
 もちろん、単純化し過ぎとのそしりもあろう。しかし、これは、モデルである。世界の単純モデルである。これですべての詳細を説明しつくすということではなく、世界に起きていることを全体像として俯瞰的につかむためのモデルである。そのような、詳細を無視したモデルは学問的に無意味であるという主張もあろうが、従来型学問の限界については後で述べることにして、まずはボトムアップとトップダウンのせめぎ合いモデルについて説明しよう。
 世界がボトムアップにつながるネットワーク化の大きなうねりと、それにあらがうトップダウンの統治や民族主義、国家主義のせめぎ合い。もちろん、時代の流れには逆らえない。綱引きの一進一退が繰り返されながらも、次第にネットワーク化・グローバル化の流れが時代を変革していく。これが、今後百年間に生じる時代変化である。
 さて、上記の文脈の中で、最初に棚上げした日本の問題を眺めてみよう。実は、日本が直面するすべての問題は、大きな時代の流れにより説明できるのである。以下に、産業、政治、外交から、災害やグローバル・イシューまで、日本の様々な問題を、ネットワーク化と揺り戻しという図式で眺めてみよう。

(1)産業構造
産業の中核は、ものづくりからことづくりやサービスシステムの構築へと大きく転換しているといわれる。情報革命の中でもデジタル化は、部品をデジタル技術で誰でも作れる時代をもたらした。その結果、摺り合わせにより作り方のノウハウをため込むことよりも、世界中に散らばっている様々な知恵や技術を適切につなぎ合わせて使うことの方が競争優位に立つような時代がやってきた。まさにネットワーク時代の帰結である。一方、日本でも地道に強みを保っている業界がある。たとえば、素材産業。こちらの勢力は新しい動きに対する抵抗勢力というわけではないが、従来型のやり方で成功しているという意味で対抗勢力である。

(2)政治
政治は、イデオロギー対立や政治家と官僚の関係といった単純図式から、多様なステークホルダの多様な価値が絡み合う複合的価値共創へと転換しつつある。日本に二大政党制が根付かないのは政治的未熟のせいだと言われて久しい。確かに日本には西洋近代流の二項対立図式がそぐわないためか、政党の離合集散が続き、衆議院の小選挙区下でも二大政党制には向かわない。しかし、もはやこれは日本の特殊事情ではなく、二大政党制の崩壊は諸外国でも始まりつつあるように思われる。これは、社会が、資本家と労働者といった単純な利害対立図式では描けない多様社会の様相を呈してきたことに起因している。ネットワーク社会では多様性が維持されるばかりか拡大再生産される。国境も超える。人々は多様化し、人々の利害は複雑化し、ネットワーク状の情報交換も進む。それを保守と革新に二分しようというトップダウン的発想そのものが制度疲労に陥りつつある。とはいえ、古い勢力の揺り戻しもある。保守派や民族主義の台頭がいい例である。

(3)外交・防衛
外交・防衛においても、国家間パワーバランスの変化に伴い、全体理念・ビジョンと戦略・戦術・戦法の関係を俯瞰的視点から再構築すべき時代が訪れつつある。新興国が世界とつながることにより力を増している。今後はこれまでのようには順調に発展しないだろうという予想も根強いが、仮に順調でないにしても新興国の成長は続く。よって、国家間のパワーバランスは必ず大きく変化する。当然、アメリカは世界の警察ではなくなり、極論すれば地球は軍事的無法地帯となる。もちろん、ボトムアップの民衆運動も進むだろう。今も昔も同じである。宗教改革、フランス革命、天安門事件。国家統治のレベルでは、古い者も容易には退出しないから、変革の直後には長い不安定な争乱時代がやってくる。国家主義、民族主義、保守主義といったトップダウンの揺れ戻しは、今後の百年間、世界を悩ますだろう。当然、世界が無法地帯である以上、日本においても、国を守らなければならないというトップダウン志向は力を保たざるを得ない。もちろん、ボトムアップ志向との綱引きが続くというわけだ。

(4)組織構造
追いつけ追い越せの時代には有効であったあらゆる組織の縦割り構造を、企業、省庁から学校、病院、コミュニティーまで、再構築すべき時代がやってきた。産業革命以来、効率的な組織とはピラミッド状の統治であった。いかに完璧に役割分担と統治がデザインされた巨大な縦割り組織を作るか。これが効率的高品質高度少品種生産のための最適解であった。もちろん、生産されるのは工業製品ばかりではない。省庁では縦割り型の政策が、学校では均一品質の人間が、型枠通りに拡大再生産を繰り返したことはご承知のとおりである。しかし、ネットワーク時代には縦割り組織は弊害である。大規模化よりも個別化、組織ごとの独自の進歩よりも他との協力、縦割りよりも横串しやネットワーク化、オープンイノベーションが効果を発する。

(5)産業政策
TPPの議論が象徴的に示すように、産業の競争と保護の関係をも見直すべき時がきている。保護されてきた人が急に荒波にもまれることの大変さはわかる。自由化が進展すれば、当初は打撃が必至である。痛みを伴わずきれいにソフトランディングできる改革などない。しかし、大きな時代の流れには逆らえない。一時期は揺り戻して対抗できたように見えても、寄せては引く波に子供が砂の堤防を作るようなものである。時代の波には逆らえない。グローバル化とネットワーク化は確実に進展する。押し寄せる波が小さかった17世紀と違って、今度は鎖国というわけにはいかない。赤い水と青い水を混ぜると紫色になるように、世界全体の均一化は進展していく。もちろん、アメリカでは輸出用の農作物に対して補助金を出すように、新しい形の補助は可能である。いずれにせよ、時代変化を俯瞰的に見据え、小手先の介入ではなく、抜本的な制度再設計が必要となっている。

(6)繁栄の指標
ブータン国王の「国民総生産から国民総幸福量へ」という方針が脚光を浴びて久しい。この例を挙げるまでもなく、経済成長のみならず心の豊かさや幸福を指標として経済活動を俯瞰すべき時代である。戦後、日本のGDは何倍にもなったが、主観的幸福度(あなたは幸せですか、というアンケートへの答えの平均値)はほとんど変わっていない。物質的な豊かさよりも心の豊かさを求める人の方が多くなって久しいが、心の豊かさは向上していないのである。これに対処することが急務である。人はどうすれば幸福になれるのか、という古来の普遍的命題を、皆で考えるべきときなのである。しかし、対抗勢力は残念ながら巨大である。今もなお根強い、経済的発展こそが重要だという根強い金儲け型の発想。ひとりひとりの人間は欲に従って利己的であっていい、という近代西洋が築いて来た価値観。この価値観自体を見直すべき時代である。

(7)災害・安全対策
東北の震災で思い知らされたことは、この世界では想定外のことが起こるという現実である。日本の安全対策は、「絶対に事故を起こさない」「何が起きても絶対に安全」といった絶対性をめざして来た傾向がある。そもそも絶対ということはありえないにもかかわらず、である。故障の発生確率を○・○○一%にすることはできるが、ゼロにすることはできないのである。そのような統計的・確率的な考え方でものごとに対処すべきである。絶対にミスを許さない、という発想が、悲しい人災につながるのである。隠蔽やねつ造と言った不正につながるのである。つまり、トップダウンに世界をモデル化できる、という発想が間違っている。ネットワーク社会は、世の中が観測不可能なほど縦横無尽に繋がり合う大規模複雑システムである。原子力システムも、堤防システムもその一種である。想定外のものごとが起きる大規模複雑システムをいかに制御し安全・安定を保つか。そんな発想が必要な時代なのである。

(8)グローバル・イシュー
日本の問題を、これからのネットワーク型・ボトムアップ型のありかたと、これまでのヒエラルキー型・トップダウン型のありかたのせめぎ合いという図式で見てきた。国内には、医療・福祉の問題、労働・雇用の問題、教育の問題、犯罪・事件の問題、文化やスポーツの問題など、まだまだたくさんの問題がある。そして、あらゆる問題の現代的様相が、二つの力の拮抗構造として表せる。あらゆる現代的問題は、大規模・複雑・ネットワーク・グローバル問題として生じている。それなのに、従来型の対策構造は古き良きトップダウン型・縦割り型・硬直型・局所最適型である。だから、問題が解決されず拡大する。
そして、もちろん、ネットワーク社会では日本と世界もつながっている。昔のように、日本の問題を世界の様々な問題と切り離して局所最適思考で考えることは困難である。グローバル社会である。地球環境問題、国際紛争の問題、貧困と犯罪の問題、宗教問題など、世界全体の大規模・複雑問題が日本にも影響を与えている。特に、地球環境問題や国際紛争問題は、国家のエゴの対決という図式では解決できない問題である。だれかが国家という視点を超えて「地球の視点」から仲裁すべきなのに、各国は自分の国益ばかりを考えて利己的に行動する。個人レベルで金儲けという繁栄の指標が破綻しつつあるのと同じく、国家が自分のことばかりを考えていてもそのバランスから地球全体もうまく行く、という幻想を超越すべき時代である。しかし、どの国家も利己的である。グローバル社会とは、一人ひとりが地球人であるというアイデンティティーを持ち、各国が地球連邦の属国であるという視点から協力すべき社会のはずだが、残念ながらいまだ地球は無法地帯である。もはや、あらゆるイシューを超国家的なネットワーク型の視点から見直すべき時代なのである。

 以上のように、時代は大きなふたつの力の拮抗時代である。ところが、このような時代への対応が、日本は周回遅れに陥っている。過去の栄光を知る年配者はトップダウン型競争力強化を取り戻せ、と時代錯誤的な主張を繰り返す。旧来型の縦割り組織や効率追求型の価値観は既に制度疲労に陥り、一昔前の成功体験が次の成功を阻害するイノベーションのジレンマに直面しているというのに。一方、若者はそもそもボトムアップ型だからばらばらで、彼らの考え方が規範にならない。実は、ばらばらのネットワーク型・ボトムアップ型活動の中には、次代を作る動きが満載である。すでに様々な優れた動きが動き始めている。特に、社会貢献のような草の根的な世界で。未来は明るい。ところが、発言力があるのは前者の旧来型勢力。こちらの声にかき消され、まだまだ新しい力は大きなうねりと言うほどには成長していない。しかも、先ほど述べたように、バラバラである。統一感のあるトップダウン型統治のアンチテーゼなので構造的にそうならざるを得ないのではあるが。
 では、これからどうすればいいのか。このことを、次に、考えてみよう。

つづく
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プロフィール

Takashi Maeno

Author:Takashi Maeno
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)ヒューマンシステムデザイン研究室教授
慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務
前野隆司

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