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「右派か左派か」から「寛容か否か」へ。人類の価値軸は変化すべき

今日は終戦記念日。日経オンラインのThink!に投稿しました。

前野隆司
慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授/ウェルビーイングリサーチセンター長

ひとこと解説

「右派か左派か」よりも「寛容か否か」のほうが重要な局面に、人類は突入しているのではないでしょうか。自由か平等か、資本主義か否か、軍備強化賛成か否か、原子炉賛成か反対か、という二項対立図式が戦争をはじめとする争いを生むことは歴史が証明しています。人類は弁証法や東洋思想など、二項対立図式を超越する方法論を何千年も前から持っているのに、それらが機能しない時代が再びやってきたというわけです。日本やアジアの思想が持つ無分別知を学び直して理解し広め、人類全体の寛容性を高めることが、現代社会を覆うマクロな問題(環境問題、戦争・紛争問題、格差と貧困の問題、パンデミックの問題)の解決のために急務です。
2023年8月15日 0:23

以上、日経の以下の記事へのコメント。

終戦の日に考えたい寛容 価値の分断越えるリアリズムを
小竹 洋之

2023年8月14日 10:00
寛容の喪失は、悲惨な戦争を招く一因でもあった

記事はこちら(会員限定記事)
第2次世界大戦の終結から78年。私たちは「パーマクライシス(永続的な危機)」とも「ポリクライシス(複合的な危機)」とも評される時代に行き着いた。

地政学、経済、地球環境などの危機は、そろって長期化の様相を呈する。しかも複数の危機が共鳴し、個々のリスクの総和を上回る惨事に発展しかねない。

民衆の緩みに本質的な問題

権威主義国家が生み出す安全保障上の危機は、とりわけ深刻だ。ロシアのウクライナ侵攻は1年半に及び、中国による台湾制圧の危険さえ迫る。核開発に動く北朝鮮やイランなどを含め、世界の「火薬庫」は四方八方に広がる。

これに対抗する民主主義国家もほめられたものではない。新型コロナウイルス禍やインフレで痛手を負った米欧の内向き志向は強まり、自国第一の政治が幅を利かす。人種や性、学歴などを巡る社会の分断も深まる一方だ。

米人権団体のフリーダムハウスが世界195カ国・15地域の自由度を算定したところ、「悪化」の数は「改善」を17年連続で上回った。権威主義の伸長だけでなく、民主主義の劣化がもたらす危機も憂慮すべき状況である。

民主主義を意味するギリシャ語の「デモクラティア」は、デモス(民衆)とクラティア(権力)の造語とされる。米国のトランプ前大統領をはじめ、抑圧的で排他的な指導者が助長した権力のゆがみは看過できない。だが彼らの台頭を許した民衆の緩みにこそ、本質的な問題があるように思う。

米カーネギー国際平和財団によると、2017年以降の主要な反政府デモは、130カ国余りの累計で400件を超える。独保険大手アリアンツグループによれば、ストや抗議運動の増加と過激化が世界的にみられ、18年以降に米国やフランス、チリなどで起きた6大事件だけで合計120億ドル(約1.7兆円)の損害を与えた。

全資産の4割程度を握る上位1%の富裕層。新天地を求めた3億人規模の移民。政治や経済を牛耳る特権的なエリート……。グローバル化やメリトクラシー(能力主義)が織りなす世界の国々のかたちにいら立ち、寛容さを失う人々が増えているのは間違いない。

不満や怒りの根源が経済問題にあるのなら、まだ落としどころを探りやすい。しかし人間のアイデンティティーや価値観を巡る相違は埋めがたく、敵と味方を二分する争いに発展しがちだ。

左右にいる大衆迎合主義者

「差別の是正か、それとも機会の平等か」――。米国では大学の入学選考で人種を考慮するアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)に対し、連邦最高裁が違憲判決を下した。黒人や中南米系の差別是正に反すると批判するリベラル派と、白人やアジア系の機会平等に資すると擁護する保守派の対立は根深い。

「石油の将来か、それとも地球の未来か」――。英国では北海の石油・天然ガス開発を推進する政府に抗議するため、環境保護団体グリーンピースの活動家がスナク首相の私邸の屋根に登り、黒い布で覆う事件が起きた。温暖化の防止を最優先する急進派は、エネルギー危機下で化石燃料への依存を絶てない当局を敵視する。

「安全保障か、それとも表現の自由か」――。スウェーデンやデンマークではイスラム教の聖典コーランを反移民集会で燃やす騒ぎが続き、イスラム諸国から猛反発を買う。こうした憎悪行為を法的に禁じ、外交問題やテロに発展するのを避けるべきだという声と、自由な言論活動を妨げてはならないという声が交錯する。

自分の生活や伝統的な文化が脅かされるのを恐れ、移民や性的少数者に不寛容になるのが右派の一部なら、人権擁護や環境保護を強く望むが故に、これらを他者に強要して不寛容になるのが左派の一部だろう。そして人々が抱える負の感情をあおり、極端な主張で民意をつかもうとする大衆迎合主義者が右派と左派の両方にいる。

「きれい事でなく渋々受け入れ」

私たちはどう振る舞うべきか。「不寛容論」などの著書で知られる東京女子大学の森本あんり学長(神学者)に尋ねてみた。

「寛容というのはきれい事ではない。自分とは異なる人、自分が否定するものを、渋々受け入れるところに本来の姿がある。不寛容の存在を認めない姿勢や、周囲に関心を持たない無寛容の姿勢から、真の寛容は生まれない」

「勝者が敗者をぎりぎりまで追い詰めず、カムバックのチャンスを残しておく。それが民主主義のありようではないか。アイデンティティーや価値観の問題に踏み入ると、徹底的に戦おうという方向になりがちだが、理想を性急に追いすぎないのが賢明だ」

歴代の米大統領らに並々ならぬ影響を与えた米神学者のラインホールド・ニーバーは、1944年の著書で民主主義を「光の子」、権威主義を「闇の子」に見立てた。理想主義的な光の子は、欲望や野心などの力を過小評価して愚かになり、現実主義的な闇の子の台頭を許したと説いたのだ。

民主主義国家は「賢い光の子」でありたいと、森本氏は話していた。自分が抱く理想と現実が違ってもひとまず容認し、漸進的な変化を探り続けるという「リアリズム」の追求にほかならない。

民主主義を根底で支える寛容の喪失は、悲惨な戦争を招く一因でもあった。終戦の日に際し、その復元を急がねばならぬと切に思う。日本も決して例外ではない。私たちが良きデモスにならなければ、健全なクラティアも育つまい。
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Takashi Maeno

Author:Takashi Maeno
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)ヒューマンシステムデザイン研究室教授
慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務
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