今朝の散歩。
今日も世界は美しい。
農耕革命前の旧石器時代人は、足るを知る生活をしていた。日本で言えば、縄文人。縄文人は平和裡に暮らしていたと言われているが、狩猟採取生活では富を蓄えられないから、人々は平等に、力を合わせいたわり合いながら暮らしていたのではないか。
1万年前に農耕革命が起こった。人々は定住し農耕と牧畜を始めた。村ができ、富を蓄積できるようになり、格差が生まれ、権力争いが生まれた。さらに、300年前に産業革命が起き、都市化、格差、権力争いは激化した。その挙句が現在。
縄文人は、富を蓄えて自分だけが幸せになろうとか自然を支配しようなんて考えずに自然と共生して生きていたのに、1万年前からの人類は欲に目がくらみ過ぎて誤った方向に向かったのではないか。
そんなことを思いながら自然の中を散歩した。
最近読んだお勧め本『未来のルーシー』。中沢新一さんと山極寿一さんの対談。文化人類学者と霊長類学者の視点から、僕と全く同じ想いが述べられていた。しかも、仏教だけが、農耕革命以前の思考法を受け継いだ宗教なのではないかと語られる。
すべての生きとし生けるものが幸せでありますように。すべての生きとし生けるものが幸せになって初めて自分の幸せがここにある。そんな大乗仏教の思想は、縄文の思想を受け継ぐものなのではないか。仏教、神道、武道、茶道、華道、伝統芸能、伝統工芸。農耕革命以来1万年間、人類が忘れかけているありかたを今もかすかに受け継いでいるここ日本から、人はいかに生きるべきかの智慧を世界に発信すべきではないか。森が豊かだから、近代化・都市化した現代にありながら縄文の片鱗を残しているこの日本から。
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