Joanna Macy の2016年の映像「ジョアンナ・メイシーとグレート・ターニング(大転換)」が期間限定で公開されていたので5回くらい見た。期間限定と言われると見たくなるものですね(笑)。
とても共感したし、おっしゃる通りだと思ったが、5回も見ると自分の考えとの違いも見えてきた。Joannaは仏教の例を挙げて(しかしバランスよくキリスト教の例も挙げて)、東洋思想への理解を示しているが、やはり最終的な立脚点は当然のことながら個人主義的なのだなあと思った(東洋・西洋と簡単に分けられるものではないですが、ここでは誤解を恐れず大雑把に分けて論じます)。
拙著『思考脳力のつくり方』や『幸せの日本論』で述べたが、古来、東洋の考え方は西洋に伝わって驚きをもって迎えられ、西洋流にわかりやすく説明されて東洋に戻ってくることがよくある。最近では、システム思考、デザイン思考、マインドフルネス、コンパッションなどなど。しかし、地球を一周する間に最も深遠なものは失われ、論理的に明快なものに変容するように思う。
最も深遠なものとは、仏教でいうと「色即是空 空即是色」や「山は山にあらず ゆえに山なり」(即非の論理)。老荘思想でいうなら、道(タオ)とは無であり一であり大であり母である。万物斉同。
つまり単純化して述べると、西洋流は、正誤、善悪、敵味方、自他、好き嫌いを分ける。すなわち、分析的。他方、東洋流は、上述の通り、色は無であり無は母である。分けない。全体論。
Joannaも、Great Turning のあとはガイア仮説のような地球生命を分けない生き方にこれからはシフトすべきだと述べてはいるのだが、Great Turning と命名しているように、そうする前とそうする後を分けている。また、動画の中で、現代の世界が困難と不確実性に満ちた状態だからこそ大きな心が立ち上がるのであって、「大丈夫、今のままでいいんだよ」ではダメなのだと力強く強調する。西洋流の論理は明確で勇ましいが、基本は、悪を転換する怒りのエネルギーに基づいているように思う(追記:怒りではなく痛みかもしれません。Joannaをよく知る方から、Joannaは慈悲と同じような意味で痛みと言います、と説明を受けました。ただ、慈悲という単語の使用には慎重とも。だとすると、Joannaと僕の違いは仏教解釈の違いなのかもしれません)。
僕は、これは誤解しないでいただきたいのだが「大丈夫、今のままでいいんだよ」と思う。もちろん、地球環境は待った無しで、大至急改善すべきだとも思うが、現状を非難して敵味方に分けるようなやりかたでの現状否定はしたくない。
かつては人類ではなく植物による大環境破壊があった。地球上には酸素がほとんどなかったのに、植物が大量の酸素を生成してしまったから、30億年から20億年前に地球環境は一気に酸素だらけになったのだ。だからこそ、私たち動物が生きられるようになって、現在に至る。
今度は人類が大環境破壊をして二酸化炭素が増えつつある。これはひどいこととも言えるが、当然の帰結とも言える。これを修正するのも人類の決断、修正しないで苦しむのも自業自得。宇宙や地球の長い歴史から見ると、まあ、ささいなこと。大丈夫である。もちろん、これから1000年くらい人類は温暖化対策に苦しむかもしれないし、一気にGreat Turningによって環境保全を成し遂げるかもしれない。人類は滅びるかもしれないし、繁栄を続けるかもしれない。まあ、どちらになるにしても、人間一人一人は生きて死ぬという意味では変わりはないのだから、どちらでもいいのではないか。誤解しないでいただきたいのだが、僕は、どちらでもいい中から、自然に、環境保全を選びたい。現在は間違っているから戦って正しい道を選びたい、ではなく、どちらでもいい中から、怒りをバネにしてではなく、世界への愛を源にして、環境保全の道を選びたい。これが、Joannaの参照した仏教的な在り方の本質だと思う。
昨年くらいだったか。酔っ払った僕が何だったか妻にひどいことを言った時に、妻は僕に「あなたが何を言っても、どんな言い方をしても、あなたの本質を信じているから揺らがない」と言った。正しいか間違っているか、好きか嫌いかを超えてすべてを丸ごと信じるということの素晴らしさ。これが、いつも東洋から西洋に伝わって東洋に戻ってきたときに忘れ去られている東洋の心の本質だと思うのです。僕も、どんなことがあっても、妻とみんなと世界を信じたい。
Joanna の Active Hope という言葉に触発されて、Passive Hopeという言葉を思いついた。すべてを受け入れ、すべてを手放せば、世界平和は既にある。いまここに。
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