【「何も考えなくても生きていける社会」はそろそろやめるべきでは?】
16歳のグレタ・トゥンベリさんの演説はすばらしかった。心から賛同した。
https://www.youtube.com/しかし、日本では的外れの批判も少なくないようだ。
【コラム】トゥンベリさん怒りの演説と、醜悪な日本の大人達
https://news.yahoo.co.jp/関連記事。
「地球温暖化のウソ」に日本人はいつまで騙され続けるのか?
https://news.yahoo.co.jp/戦後の日本は世界でもトップクラスの安全で健康な国家となったが、言い換えれば、各人が自ら判断し、様々なことに自ら気をつけなくても生きていける社会を作ってしまったとも言えるのではないか。自らをルールとマニュアルで縛った挙句、大局的な判断やイノベーティブな判断ができない人々となってしまったのではないか。自らの個性を生かしならが成長して独自の強みを磨くことのできない人の集団になってしまったのではないか。
江戸時代までは宗教が思想の根幹を成していた。明治には国家神道があった。かつては〇〇道のような精神修養を行なった達人がいた。これに対し、戦後日本は倫理・道徳の中心を失ったままなのではないか。過去に戻るべきだとは思わないが、思考の基軸を再構築すべきときなのではないか。
日本人の自己肯定感は諸外国と比べ低めだというデータがある。成長しなくても生きていける国を作った結果、自己肯定感さえも高められずに未熟なままでいる人間を大量に作ってしまったということなのではないか。
日本人はたとえばアメリカ人に比べて日常会話で政治や国際情勢の話をしない傾向が強い。未熟なまま大人になった結果、自分のことしか考えられない事態に陥ってしまっているのではないか。世界のことに目を向けるための心の成長が止まってしまっているのではないか。
大局観がないから、グレタ・トゥンベリさんの大局的な発言に対して、細かいことをつつくような的外れの反論しかできなくなってしまったのではないか。環境問題のような全体最適の問題を考える能力が欠如しているのではないか。他人のため、みんなのため、地球のため、と考える利他性・思いやり・親切さが育っていないのではないか。
もちろん、日本だけではない。世界中が、自国第一主義に傾いている。みんなが自分勝手になろうとしている。このままだと世界大戦になるかもしれない。環境問題も解決されず、恐ろしい温暖化が進むのかもしれない。
そんなはずはない。僕は、人間はそんなに愚かではないと信じたい。そんなのは一部であると信じたい。そして、みんな変われると信じたい。目覚めよう。もっと、みんな、自分の力を発揮しよう。もっと、大局的に考えよう。そのための教養を身につけよう。もっと学ぼう。自ら世界のことを考えられる地球人になろう。そして、行動しよう。環境問題は待ったなしだ。民度の低下も待ったなしだ。みんなで、やるべきことをやろう。小さくてもいいから、始めよう。そして、行動の輪を広げよう。世界を「和の世界」にしよう。そのためのリーダーになろう。私たち日本からやるべきことはたくさんある。みんなで立ち上がろう。みんなで、幸せで平和な地球を作ろう。青い地球を守るのは、ほかならぬ、私たち自身だ!
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