昨年「道の学校」にお呼びして、ゆっくりなのに素早い身のこなしや、刀で痛みを癒す技、紐で斜視を治す技など、なぜだか現代科学では説明できなさそうな数々の技に感銘を受けた記憶が新しいです。
これは対談前に名著『表の体育、裏の体育』(PHP文庫)を読み直しておかないと、と読み始めた2ページ目で既に在り方に共感。
甲野先生は、「自分は努力したのでも、才能があったのでもなく、運が良かったのだ」とおっしゃいます。
1. 努力
2. 才能
3. 運
みなさんの人生は、どの要素が大きいですか?
しかし、一般的な運の概念をもう少し拡大して考えてみると、根気よく努力できる性格に生まれついたのも運。才能に恵まれたのも運。努力も才能もないのに何かを成し遂げたのも運。つまり、1も2も3も運なんですよね。全て運なんです。
いやいや、「自分は努力したんだ」という方もおられるかもしれませんが、自由意志もすべて世界の相互作用の結果として起きていることと考えると、全ては運です。100%。ここは意見の分かれるところでしょうが、私は「自由意志は幻想」(受動意識仮説)という立場に立ちますから、私の立場から見ると、全ては運。
だったら、努力できない自分を責めたり、才能のない自分を悔やんだり、運の悪い自分に落ち込んだりするのは、やめた方がいいですよね。なにしろ、自分のせいではなく、すべて運なんですから。
つまり、すべてはなんとかなる、とありのままに、いまここに生まれてきた奇跡に感謝して生きる以外に何もないということですよね。いま自分がここに生きていること自体に感謝。138億年の宇宙の中でいまここに生まれてこれた運の良さに感謝。みなさんに巡り会えた奇跡に感謝。
全てが運だなー。
しみじみとそう思っていたら、以下の記事が。
この8人の大金持ちは、世界人口の半分と同等の資産を持っているhttps://www.huffingtonpost.jp/彼らは努力と才能と運に恵まれていたのだと思います。しかし、そんな、運のいい人が得をする社会でいいのでしょうか(金持ちになることが得と仮定すれば、ですが)。
アダム・スミスは、神の見えざる手によって、資本主義経済下では貧富の格差は拡大しないはずと述べましたが、歴史はそれが誤りであったことを示しています。つまり、現代社会とは、運のいい人が得をして、運の悪い人は損をする社会。
幸福学の研究成果は、ジニ指数(格差を表す係数)の小さな国の国民ほど、つまり、格差の小さい国の国民ほど、幸福度の平均値は高いことを示しています。
僕は、世界中が北欧のように税率を高めるか、かつての日本のように、いやそれ以上に累進課税の累進性を高めるかによって、金持ちにもっと課税をして、格差のない、みんなが運によらす幸せに暮らす世界を作るべきだと思います。年収1億円の人は90%課税(つまり手取り1000万円)、年収100億円の人は99.8%課税(つまり手取り2000万円)くらいでいいと個人的には思います。ビジネスで成功したという名誉だけでいいじゃないですか。
しかもそれって、理論的には選挙によって実現できるのに、それが実現できていない現代社会を歯がゆく思います。つまり、たとえば、世界中の年収1000万円以下の人(世界人口の大多数)が、みんなで年収1000万円以上の人への大幅な累進課税を掲げる立候補者に投票すれば、そういう社会資本主義型の政権が実現できるはずです。現実には、争点がそこになっていないから、アメリカの低所得者層が大金持ちの大統領候補に投票したりする非合理的なことが起きていますが。。。
ただし、まずは民主化していない国を民主化するのが先ですね。それから、うちの国だけはやらないということが起こらないように、世界中の人が手を取り合って画策する必要があります。塁審性の低い国があるとそこに不公平が生じますから。それから、法人はどうするのだ、という議論もありますね。そういう詳細の議論はありますが、本質的には、世界中の人が合意すればこのアイデアは実現できるはずです。
言い換えれば、世界中の人々が世界中の人々の平等について考えないとこの計画は実現しないというところが困難です。資本主義経済システム(とその他の経済システム)は、国を超えて皆のことを考えるシステムにはなっていませんから。現在は世界の大国の政治家と国民がこの考えに逆行しているので、この理想の実現は残念ながらまだまだ先になりそうです。
環境問題やパンデミックで人類が滅ぶのと、人類がみんなのことを考えられる意識レベルに成長するのと、どちらが先なのでしょう。
あー、憂鬱になってきました。
全ての人の個性が尊重され、運に左右されずに皆が活き活きと生きる世界を実現したいものです。
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