FC2ブログ

Entries

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

スマナサーラ長老との対談が本になりました。

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

514o9QE8rRL.jpg

2017年10月30日発売です。

ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。ご参考までに、僕が書いた「前書き」(とここだけの対談情報)を以下に転記します。

まえがき

宇宙は今から138.2億年前にできたと考えられています。ビッグバンの瞬間です。それ以来、宇宙は光の速さで拡大してきました。つまり現在の宇宙は半径138.2億光年(注)。巨大です。138.2億年の間、宇宙を形成する物質とエネルギーはインタラクション(相互作用)を繰り返してきました。延々と。

(注:友人に指摘されました。宇宙の半径は465億光年と考えられているそうです。私の記述は私が大学で学んだ頃の古い考え方に基づいていました(汗)。https://ja.wikipedia.org/wiki/観測可能な宇宙

その結果、星雲や星団ができ、銀河系ができ、太陽系ができ、地球ができ、生命ができ、動物ができ、哺乳類ができ、人類ができ、農耕文明ができ、宗教ができ、国家ができ、産業革命が起こり、現代社会ができ、様々な社会問題が生じました。環境問題、戦争・紛争、飢餓、格差の問題、科学技術倫理の問題、などなど。現代社会には悩みと苦しみがあふれています。

しかし、考えてみてください。138.2億年前、ビッグバンの瞬間には、すべては点だったのです。私たち人間や、生きとし生けるものや、あらゆるモノを形成している物質とエネルギーは、みんな同じ点にありました。そんな、かつてはみんな一緒だった私たちが、自由意志を持った個人に分かれて、分断し、争っている。この価値観・世界観は適切なのでしょうか。

私が提唱する受動意識仮説によると、自由意志は幻想です。リアルに存在するように思えるけれども、本当はない。昔、有名な漫画のフレーズに、「お前はすでに死んでいる」というのがありましたが、あれと似ています。私たちは、あらかじめ死んでいるようなものである。死んでいるようなものであるけれども、幻想のような生を楽しんでいるのである。宇宙史上最大級のラッキーによって。私たちはあたかも心を持った人間であるかのような充実した時を、宇宙の年齢と比べると一瞬ともいうべき約百年というはかない間とはいえ、過ごすことができる。なんて、ラッキーなのでしょう。相互作用する宇宙の一部である以上のなにものでもない私たちが、幻想とはいえ生き生きと生きているかのような今を楽しむことができる。なんて素晴らしいことなのでしょう。宇宙への感謝に満ちあふれざるを得ません。

こんな私の価値観・世界観は、原始仏教のそれと近いのではないかとずっと思っていました。もともと原始仏教や禅の思想に本質的なものを感じ、スマナサーラ長老や中村元先生や鈴木大拙先生の本を読みあさっていた私にとって、長老との対談は、願ってもない光栄な機会でした。なんて素晴らしい宇宙のインタラクションの一部なのでしょう。そして、本書をお読みいただくとわかりますが、科学と仏教の類似点、相違点が、とても鮮やかに腑に落ちました。長老の説明は明快で、私の誤解も理解も明確になりました。これまで、多くの日本の僧侶の方と対話してきましたが、何か難解で理解できないものが心に残っていました。ところが、長老のお話は、すべてすっきりわかりやすく、心は晴れやかとなりました。シンプルな本質を明快に伝える原始仏教の考え方を今に残している上座部仏教と、年月をかけてインドから中国を経由して日本に入ってくる間に精緻化・複雑化・多様化・理解困難化した大乗仏教の違いを感じました。この本は、私にとって、とても大切な記録となりました。長老、ありがとうございました。心から感謝しています。

本書を通して行われる、読者の皆様と私たちのインタラクションも、豊かで平和で幸せなものであることを願ってやみません。宇宙が始まった時は同じところにいた私たち。そしてこれからも永遠に宇宙の一部である以外のなにものでもない私たち。そんな私たちが再びインタラクションできたことを心から嬉しく思います。あたかも生きているかのような皆様の心にも平安と調和が広がりますように。

(前書きはここまで。)

まえがきに書いたように、受動意識仮説や幸福学と上座部仏教の類似点・相違点がクリアになった、とても学びに満ちた対談でした。

ただし、一つだけ少し残念な点がありました。対談の中で一番面白かった点が、本からはカットされた点です。長老が「日本の大乗仏教はまちがっている!」とかなり強い口調でおっしゃるので、僕は聴きました。

「長老は『怒らないこと』(サンガ新書)というベストセラーを書かれているわりには、憤りを強くあらわされますね」と。怒っているように見えたからです。すると、長老はおっしゃいました。

「怒っているんじゃないよ。笑っているんだよ!」と。詳しく書くと以下のとおりです。

「私は怒りは感じません。馬鹿なことをやっている人たちを見ていると、どうしてそんなことをするのかと、楽しくなるのです。腹は立ちません。「チャンスがあったら教えてあげますよ」という気持ちなのです。皆がなんだかおかしなことをやっているのが透けて見えるので、私は笑っているのです。」

怒っていると思ったら、笑っていたとは。文化が違うと、感情表現は違うのだなあ、と驚きました。

本を読んだ方は、長老はかなり穏やかな方だと思われるのではないかと思いますが、実は、日本の価値観から見ると、かなり情熱的な方だと感じました。上座部仏教と大乗仏教の違いなのか、スリランカなどの南国と日本のような北のほうの国の違いなのか。僕は自分が自文化中心主義には陥っていないつもりでしたが、文化横断的な視点から世界を見ることの難しさを改めて感じた対談でした。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://takashimaeno.blog.fc2.com/tb.php/440-0180ce60

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR