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「悟りの境地」と「幸福学」

週刊金融財政事情8月22日号の一人一冊というコーナーに『「悟りの境地」と「幸福学」』という文章を掲載していただきました。

この雑誌は、以前、イノベーションについての記事を、保井先生、白坂先生とともに書かせて頂いた時からのご縁。

それにしても、金融財政事情に疎い僕に、金融財政事情とは関係なさそうな書評の執筆をお許しくださった、この雑誌の懐の広さに感謝! 禅を世界に広めた鈴木大拙氏の名著『禅学入門』は僕の愛読書です! 皆様もぜひ!

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「悟りの境地」と「幸福学」

私は、『脳ななぜ「心」を作ったのか』(筑摩文庫)という本を書いて以来、「心とは何か」「悟りとは何か」といった問いを考え続けている。有名なリベット博士による脳神経科学の研究結果によると「意識下の自由意志は無意識的な決定に零コンマ何秒遅れで従っているだけ」であることから、私は、「心は幻想」ないしは「心は無意識的な決定に追従しているものに過ぎない」と考えている。これが仏教の無我(心は無い)や非我(心と感じているものは本当は心ではない)と対応することから、仏教への興味は高まるばかりである。中でも、私は、神秘性の排除された日本仏教の形である(と感じる)禅に、特に興味があり、臨済宗の僧侶で禅を世界に広めた鈴木大拙の大ファンである。金沢の鈴木大拙館や北鎌倉の鈴木大拙自宅跡地に何度も足を運んだほどだ。鈴木大拙の本の中で、最も繰り返し読んだわかりやすい本が『禅学入門』である。

鈴木大拙(1870年-1966年)は、禅についての多くの著作のある禅僧・仏教学者(文学博士)であり、著書約100冊のうち23冊が英文で書かれている。ユングやハイデガーとも交流があり、アメリカ西海岸のヒッピー文化・カウンターカルチャーにも影響を与えたことが知られている。同郷の哲学者西田幾多郎とも友人である。

仏教界では賛否両論あるようで、彼の仏教解釈は正しいのか否かという議論もあると聞くが、私としては、歯に衣着せぬ明確な語り口はわかりやすいと思うし意志の力を感じる。特に、禅について力強く論じた『禅学入門』は、文句なしに私の愛読書である。そこで、本書について紹介しようと思う。

本書の目次を見ると、章のタイトルは「禅とは何か」「禅は虚無主義か」「非論理的なる禅」「大肯定の禅」「実際的の禅」「悟り―新見地の獲得―」「公案」「禅堂と僧侶の生活」とある。

皆さんは、悟りの境地とはどんなものだとお感じだろうか。日本では普通の人が至り得ない高尚な境地と考えられがちだが、私は、修練を積めば誰もが到達できる幸せな境地だと思う。もっというと、私が最近手がけている「幸福学」の極限が悟りだと思う。それを確認するために本書を繰り返し読んでいるといっても過言ではない。私の好きなフレーズをいくつか抜き出してみよう。

「禅が徹底的に理解される時に、心の絶対の平和が得られて、人は各々正しき生活を営むに至る。それ以上に吾々は何を求めようか。」

「(禅は)エデンの園を行くがごとくにこの人世を楽しませる。」

「心を心非ずと知る時に初めて心と心の働きが解る」

「吾々は初めて「A」が「A」にあらざることを知ったのである。論理が偏狭であること、そしていわゆる非論理的なるものが結局非論理的でないことを知ったのである。「AはAなり」ということの意味は「AはAに非ず」という時にのみわかるのである。それ自体であることはそれ自体でないことである。これが禅論理であり、吾々の強調するところのものである。」

「生と死とはもはや吾々を苦しめない。そうした二元性はどこにも無いからである。吾々は死を通してさえもなお生きることが出来る。」

以上より何かヒントを得て頂いているならば幸いに思う。

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