今日の福澤文明塾ベーシックナレッジの講師は、日本画家の上村淳之(うえむらあつし) さんと僧侶の松本紹圭(まつもとしょうけい)さんという贅沢なダブルヘッダーでした。
上村先生は、1933年生まれ、81歳。講演前の打ち合せの際に、ある50代の芸術家の話に。「まだ50代なのに、自然体で、などという。若くてそんなことを言う歳ではないのに。」ほぼ父と同じ世代なのに現役ばりばりの方からの「50代は若い」という言葉は新鮮で元気が出た。完成させてはならない。完成させると終わる。そのようにお考えだから、いつまでも現役なのかも知れない。
講演も興味深かった。これまで、洋画と日本画の違いは絵の具の違い、くらいにしか思っていなかったが、上村先生の説明は明快だった。日本画では、写生はしない。たとえば、ある鳥の絵を描きたいと思ったら、スケッチブック1冊分くらい模写し続け、自分のものにする。それが終わったら、ようやく、日本画を描く。日本画は、心の描写。何も見ずに描く。西洋にシュールリアリズムというのがあるが、何を言うか。日本画は始めからリアリズムを超えている。
日本は、霧でかすむ国。「いずこからともなく現れる」という表現があるように、境界が明確ではない世界観を持てる環境。スカッと晴れ渡っていたら、どこからともなくは現れられない。そういうところでは二項対立的な価値観が醸成されがち。上村先生の絵を見ると、鳥の影はほとんど描かれない。境界のない背景の中、夢のように鳥がただずむ。現実を明確に描こうとすると抜け落ちてしまう心象風景。
鳥ばかり描かれた画集を見ると、20代の頃は荒々しく、50代では白く美しく、最近の絵は静けさの中に浮かぶ鮮やかさが美しい。完成させないから進化する、生涯絵描き(画家ではないそうです)の上村先生でした。
そしてそのあと寺へ行き、松本さんのセッション。こちらは松本さんの記事参照。
http://www.higan.net/ebn/2014/11/post-21.html
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