Entries

多様性の容認は個性の否定につながるか?

移民は受け入れるべきか? 寿司、柔道、その他様々な日本文化の伝統はいかに守るべきか?

ご縁があって、ライフネット生命会長の出口治明氏と会食。

僕はこれまで答えが見つかっていない問題があった。表題にも書いた、「多様性の容認は個性を消すことにつながるか」という問題。

例えば地方都市。僕は広島育ちだが、広島弁や、広島らしいお好み焼き屋や、地方の風習等、広島の独自性は、親の世代よりも僕の世代、僕の世代よりも子供の世代になるにつれて、薄まっていく。交通もインターネットも発展した現代社会において、社会が縦横無尽につながることはよいことだが、同時に地方の文化は薄れていく。東京と同じチェーン店が増え、地方都市の個性は失われていく。

例えば柔道。日本の本来の柔道は、柔よく剛を制す。筋力に頼り力任せて相手をねじ伏せるのではなく、磨き抜かれた絶妙な技により、相手の力を利用して、相手を倒す。ところが、柔道が国際化するにつれ、力任せの柔道がはびこる。グローバル化が進展するにつれ、柔道は変容していく。

寿司も同じだ。外国で寿司を食べると実に残念な場合が少なくない。絶妙なカリフォルニアロールが日本には無い新しいおいしさであることもたまにはあるが、多くの海外の寿司、特に日本人の職人がいない寿司屋の寿司は、残念ながら日本の本来の寿司とは異なる。現地の人々の好みに応じてモディファイされ現地に貢献しているのだから経済的には悪くないのだが、日本文化の伝承という意味では残念に思う。つまり、グローバル化が進展するにつれ、寿司は変容していく。

洗面器の水に青と赤のインクをたらした場合と似ている。どんどん混ざって、均一化が進んでいく。エントロピーは増大し、個性は薄れる。だから、グローバルネットワーク社会とは、均一化社会でもある。もちろん、グローバルネットワーク社会とは、マイナーな個性がつながれる社会でもある。したがって、単に均一化が進むだけでなく、ロングテール現象が表しているように、多様で小さな個性が育まれる社会でもある。マクロに見たときの均一化と、ミクロに見たときの個性化。では、中間、すなわち、これまである程度の規模に達していた、地方都市の文化・スポーツ・芸術、ないしは、国家レベルの文化・スポーツ・芸術は、どうなっていくのか。どうすべきなのか。

これへの答えが見つけられないでいた。

たとえば、移民。日本人の人口が減るから、大量の移民を受け入れるべきだという意見がある。確かに、高齢者を支えるためには移民受け入れは良いアイデアである。しかし、民族主義を振りかざすつもりは全くないものの、移民を大量に受け入れたあとの日本は、上述のような、文化・スポーツ・芸術の希薄化がさらに加速するのではないか、という危惧がぬぐい去れない。

出口さんと、上記の話になった。出口さんの意見は明快だった。

文化の伝播の話については、偽物、まがい物も含めて、どんどん広まればいいとおっしゃる。広まることで認知され、多くの人は偽物に満足するかもしれないが、一部の人は本物を目指す。一生のうちに一度は日本に行って本物を見たいと言っているロシア人柔道家の話もされていた。一部の人は一生に一度は築地で寿司を食べたいと思うかもしれない。一部の人は、住宅街の中にぽつんと存在していて人のいいおばちゃんが焼いてくれる本来の広島風お好み焼きを食べたいと思うかもしれない。

確かに、広めれば、ロバスト(頑強)でレジリエント(復元力がある)になる。頑固に偽物を拒み、細々とやっていたのでは絶滅寸前かもしれないが、世界に広まれば、細々とやっている場合よりも本物を目指す人が増えるに違いない。だから日本の文化やクールジャパンをどんどん広めればいい。多少薄まっても気にしなくていい。世界に広まることが、本物の認知につながる。

出口さんは、移民もどんどん受け入れればいいとおっしゃる。門戸を開けば、治安が良くて、食べ物がおいしくて、温泉もあって、人々が正直なこの国に、いくらでも人は来る。日本国内は今よりも多様になる。多様になればなるほど、日本の本質を知りたがる人も出てくる。日本文化も、日本語も、広まる。

確かに、それは今とは違った形の日本だろう。ヨーロッパのような感じだろうか。移民とのフリクションも生じるだろう。しかし、その多様な日本の中で、日本の本質を伝える教育が発展する必然性から、今以上に日本とは何かの理解が国内外で進むだろう。日本人にとっても。それは、今のような均一で閉鎖的な面のある日本ではなく、オープンで明確化・可視化された新しい日本像であるはずだ。

考えてみれば、大学教育のオープン化の進展もアナロジカルだ。欧米では授業を惜しげもなくネットで公開するケースが増えている。我が慶應SDMでも、協創教育を無料公開講座としてオープンにするKiDS(慶應イノベーティブデザインスクール)が人気を博している。教育コンテンツを、入らないと見られないようにするのではなく、オープンにして誰でも見られるようにすると、学びが不十分な人も出てくるかもしれない。しかし、その中の一部は、本物を学ぶために入学するはず。この論理と同じだ。

要するに、従来型の、ピラミッド型縦割り社会、重要情報が一部でしか交換されない社会では、強みを隠し持ちコントロールして切り札にする戦略が有効であった。しかし、これからのグローバルネットワーク社会では、薄まること、偽物がはびこること、大事なものが漏れてしまうことを恐れるべきではない。むしろ、オープンに広めていくことが、多様なつながりにつながる。ロバストネスとレジリエンスにつながる。しかも、それは、トップダウンにコントロールされるのではなく、ボトムアップに自己組織化していく。粘菌の増殖のように。そして、今、日本は、チャンスだ。たくさんの強みが注目され始めている。オリンピックもある。チャンスをチャンスと見るか、リスクと見るかは、我々次第。

楽しい食事会でした。以上の点を、明確に理解! 出口さん、ありがとうございました。あまりにすばらしいお話だったので、秋学期のSDM特別講義でもお話し頂く約束をしました! 学生のみなさん、楽しみにしていてください。

ちなみに、出口治明さんは、慶應SDMの本(システム×デザイン思考で世界を変える)についての記事を書いてくださっています。

スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://takashimaeno.blog.fc2.com/tb.php/293-e5120c0f

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

最新記事

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR