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文楽公演(寿式三番叟/心中天網島)

はじめて文楽を見た。寿式三番叟と心中天網島。江戸時代以来の庶民文化、とても刺激的で面白かった。西洋型のエンターテイメントに慣れている現代日本人の僕には、いろいろなことが新鮮だった。

まず、人形を操る3人の人が観客から丸見えであること。見せるもの(人形)以外は見せないという西洋型人形劇と違い、巧みに息を合わせて人形を操る人も主役、繊細な動きを見せる人形も主役。また、西洋の人形と違って表情を変えない人形。なのに、感情が十分に表されている様から、感情が身体全体の表現であることを否応なく思い知らされる。西洋型エンターテイメントでは先がどうなるか種明かしはしない。しかし、文楽では浄瑠璃の語りがどんどん先の種明かしをしていく。「小春が今晩死んでしまうことをまだみんな知るまい」とかフィナーレのことまでさっさとネタばらし。いわれてみると、観客は先を知らないべき、というのも現代常識の思い込み。語り(詞章)は単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むから、女性役の声も男性。しかも、語る人が回り舞台で入れ替わったりする。同じ役は同じ人が一貫して語るべき、というのも現代人の思い込み。語る人と三味線はよく見えるところに座っていて、彼らも主役。しかし、汗をかいたら遠慮なくタオルで顔を拭いていたりして、見られていることを意識していないかのよう。見られているのか見られていないのかという二項対立も超越。心中天網島は、紙屋治兵衛が遊女小春と心中するという話。ハリウッド映画のような派手な展開とは違って、人と人との会話が続く。現代日本のドラマと同じく、日本的な感情の行き違いや、思いが伝わらない話に終始。これも、明確に考えを伝えるコミュニケーションが基本の西洋的なドラマに慣れた僕から見ると、じれったい。現代人よりも強烈なのは、義理人情。もちろん、現代日本人にはその心もよくわかるが、西洋人には理解できないかも。男尊女卑は、現代とは違うが、これは伝統芸能だから、江戸時代はそういう時代なんだね、と解釈すべきということか。一緒にいった女性陣は、紙屋治兵衛のだめ男ぶりが許せないと言っていたが、まあ、そのとおり。総じていうと、演じる内容とメタ内容(演じること自体)が同時に楽しめるようになっていて、中と外、主観と客観、という二項対立的なあり方を超越している(言い換えれば、我々現代人はいかに近代西洋的な二項対立的な構造に慣らされているかということを実感)。三味線の音は心地よかった。やはり、音程やリズムといった西洋的な枠組を超越している。こんなに三味線がいい音だと思ったことはこれまでなかった。年を取ると日本的な思想が好きになるものだが、日本的な芸能も好きになるものなのかも。また見たい。

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