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心森一元論ないしは森脳仮説(ガイア仮説再考)〜森は心を持つか?

以前、茂木健一郎さんが言っていました。「植物には脳はない。だから植物は考えない。」あるいは、「水には脳はない。だから水は考えない。」100パーセント合意、と思っていました。心があるのは、脳を持つ生物だけだろう、脳が心を作ったのだろうから、と。

それから、僕は、「科学で説明できないことは信じない」という立場に立つ、といろいろなところで公言してきました。もちろん、今もそのスタンスに全く変わりはありません。

ただし、最近は、「科学的でないことを科学で(あるいは論理で)論破しようとすることは不要な対立を生むのでもしかしたらあまり得策でないことなのかも知れないなあ」とは思い始めていました。「信じる人のところに神がいる」(もちろん、信じない人のところには神はいない。つまり、どちらが正しいかを競うのではなく、違う主義主張が共存している)のだとしたら、それはそれでいいのではないか、と。

とはいえ、強調しておきますが、私は科学的に説明できないことをあえて信じたりはしない立場に立ちます。なぜ強調するかというと、スピリチュアルと誤解されかねないことをこれから書く(というか、すでにタイトルに書いていますね)のに対し、不本意に立場を誤解されたくないからです。あくまで、論理的思考の帰結としての仮説について述べます。

ガイア仮説というのがありますね。地球は実は一つの生命体だという考え方です。あるいは、ユングの集団的無意識というのもありますね。人間は、人知を超えた形で、集団としてある種の情報処理をしていて、その結果、共通の知を共有している、という考え方です。僕はこれらには懐疑的でした。そうであることの価値と根拠が合理的に説明できないから。つまり、地球が一つの生命体だと仮定するには、「なぜそうである必要があるのか?」という目的と、「どのようにしてそれが成り立つのか?」というメカニズムが合理的に説明できないから。

前提の話はこれくらいにして、本題に入りましょう。

2015年10月、僕は、森のリトリート(株式会社森へ)に参加しました。そのときの体験なのですが、那須の森に寝転んで木々を見上げているとき、僕は一つの仮説を思いつきました。とっても新しい世紀の大発見かも知れないとも思いますが、まあ、僕が思いつくことはだいたい他の人も思いつくと思うので、すでに誰かが言っていることかも。

大発見(かもしれないこと)とは!?

森は、「心を持っている」とみなしていいだけの構造を持っているのではないか、ということ。

森

もう少し詳しくいうと、電気の高速伝達の代わりに水のゆっくりとした循環が、神経細胞の代わりに個々の植物が、ニューラルネットワークの代わりに森や林が、脳の役割を果たしているというようにアナロジーで考えると、森が全体として生命体のように振る舞っていて、心のようなものを持っているという仮説は、あんがい合理的に説明できるのではないか、ということです。

動物の脳の神経細胞間通信を司るのは電気(と化学物質)です。人間の場合、1000億個の神経細胞が縦横無尽につながってネットワークを形成しています。言い換えれば、人間の脳とは、神経細胞という電圧オン・オフスイッチが、縦横無尽につながっているだけ。その結果、この豊かで複雑な情報処理が行なえているわけです。感性も含めて。
ということは、1000億個のオン・オフスイッチが適切に接続されていれば、脳のようなものや、心のようなものが創り出せるかも知れないというわけです。で、森は脳と同じような構造をしているとみなしていいのではないか、というのがこの仮説です。

つまり、もしかして、植物たちも、根を介してつながったネットワークになっていて、水が木々や草花の間の通信を司っているのでは? そう考えると、森で脳と同じような働きができると考えてもおかしくないのではないか?
人間の脳神経細胞の電圧のオン・オフは1秒間に数10回程度。周期が数10ミリ秒、周波数が数10Hzです。1000億個もの神経細胞が、1秒に数10回の情報交換を行なう結果、私たちの心はでき上がっているのです。
木々の水のオン・オフは、1日周期でしょうか。根が水を吸い上げ、葉から蒸発する、という周期。これは、地球の自転の周期(太陽がのぼって沈む1日=24時間のリズム)と同期していそうです。1日のリズムとは、周期1日=60×60×24=86400秒。周波数にすると1/60/60/24=11.6mHzです。ざっと人間の脳の周期の1000倍。1000分の1のゆっくりさ。
あるいはもう少し短い周期や長い周期のリズムもあるでしょう。例えば一年周期。周期1年=60×60×24×365=3,153,600秒。3千万秒。周波数にすると1/60/60/24/365=31.7nHz。脳の100万分の1というゆっくりさ。
ちなみに最近のコンピュータのクロックはギガヘルツ(GHz)レベルなので、人間の脳の1億倍、一日周期の一千億倍、一年周期の100兆倍。もはや想像できないくらいのスピードですね。

つまり、「森の根のネットワークは、ものすごくゆっくり働く脳のようになっているのではないか」「神経細胞が1000億個集まった人間の脳に心があるのだから、植物がそれ以上集まったネットワークにも心があったって何ら不思議ではないのではないか」ということです。あくまで仮説ですけどね。
つまり、実は木を単体で生物だとみなすのではなく、森こそが脳のようなネットワークを持つ一つの生物とみなすべき対象なのではないか、ということです。人間は土の上の見えている部分だけを見て、人間スケールで考えて、木や個々の植物をひとつひとつの生物とみなしがちですが、それは「木を見て森を見ず」なのではないか。あまりにもゆっくりな活動なので、これまでは着目していなかったけれども、見方を変えると成り立つのではないか、ということです。つまり、心とは、秒オーダーのスピードでいろいろな判断や認知を行なうものだ、という固定観念があるから、日オーダーや年オーダーで超ゆっくりと活動する脳を想像しにくいけれども、森は日オーダーや年オーダーで考える脳のようなものであるという可能性はあるのではないか、ということです。

もちろん、「1000億個のスイッチをつなげば脳ができる」というものではないと思います。そうではなく、「1000億個のスイッチを適切につなげば脳ができる」というべきでしょう。そして、人間の脳の適切さは、進化によって獲得されたものと考えるのが妥当だと思います。
よって、インターネットを介して1000億個以上のPCや携帯がつながったからといって、ネット上に心が創発するというようなことはないのかもしれません(あるのかもしれません)。
しかし、植物は動物と同じく進化によって生じていますので、何らかの必要性があれば、地球を覆うような巨大な脳のような働きが生じていても何ら不思議はないのではないかと考えることもできそうです。

1000分の1のスピードで働く脳なんて、遅すぎて想像できない、という方もおられるかもしれませんが、現代のコンピュータは人間の脳の1億倍速い、ということは先ほども述べた通りです。1億倍速い計算機が実現できているのに、1000倍遅い計算機は考えられない、というのは想像力がなさ過ぎではないでしょうか。

しかし、そもそも、植物たちに、脳を作る必要性はあるでしょうか。
人間が高度な脳を作ったことの必然性はというと、拙著『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房)に述べたようにエピソード記憶をしてより高度な生き方をするためであると僕は考えています。
だとすると、森が脳を持つことの必然性は、全体としてよりよく生きるための何かなのかもしれません。現時点では僕にもわかりません。正直言って、森としての脳や心を仮説しなくても、植物個々の営みは説明できますし、森全体が心を持っているとしたら、あまりに無力に人間に破壊されるに任せているようにも思えますし。もう少し考えてみます。

つまり、「どのようにしてそれが成り立つのか?」というメカニズムの仮説は思いついたものの、「なぜそうである必要があるのか?」という目的については仮説が見つかっていないというのが現状です。よって、未完成なのですが、もしもそうであったら、と仮定すると面白いのでいろいろと思いを馳せてみたいと思います。

【島国は一つの個体とみなすべきか?】
根でつながった植物が脳のようなネットワークを形成するとしたら、川や海や都市で隔てられると別個体になるのか、という疑問がわきます。大河では両岸の植物の根はつながっていなさそうですが、源流の方に行けば川幅は小さく両岸の根が出会えそうです。都市化され道や家で隔てられるとどうか。これも分断されそうですね。もちろん、海も。ということは日本の森は少なくとも外国の森とは別個の心を持っているとみなせるかもしれません。だとすると、日本の神道の自然崇拝とは、日本の森の心の崇拝だったのではないか、なんて思えてきますね。

【森が脳だったら、移動できる身体はないのか?】
人間とのアナロジーで考えると、森が脳だとすると、身体を持っていなくて不自由そうです。しかし、たとえば、脳である植物は動けないから、動くために動物を作ったとしたらどうでしょう。動物たちは森の分身として、いろいろなところを移動して、その結果を森の脳に伝える役割を担っているとしたら。ネイティブアメリカンの言い伝えの中には、「人間は大自然をメンテナンスするために生まれた」という考え方が残っているそうです。人間は、実は森をメンテナンスするために生まれたとしたら。現代社会とは、森の心の思惑に反して、平地を都市化し原生林を破壊する森の手下の反乱社会なのかもしれませんね。

【森が脳だったら、どれくらい賢いのか?】
日本の国土の面積は377,900平方キロメートル。377,900,000,000平方メートル。その七割が森林として、例えば1平方メートルに1本の植物が生えているとすると、377,900,000,000×0.7=264,530,000,000。2600億本。脳細胞数と賢さが比例するとすると、人間より少し賢いくらいでしょうか。10センチ四方に1本の植物、として計算すると、260,000本となります。その場合、人間の260倍賢いことになります。それだけ賢かったら、人間が自然環境を破壊するに任せてはいないような気も。

【長寿?】
植物は4億年前に海から陸に進出したと言われます。考える速度が人間の1000分の1だとし、植物は入れ替わりながらもネットワークとしての森脳はずっと生き続けているとすると、40万歳相当!? これだけ長い間いろいろなことを経験しているとすると、人間が多少破壊しても、たいしたことはないと知っているのかも。あるいは、人間の愚かさにより温暖化が加速し人類が自滅することが、森脳にとっては予測の範囲内だったりして……。

【森が脳なら、ガイア仮説も集団的無意識もセレンディピティーも説明できる?】
森が脳なら、冒頭で述べたガイア仮説や集団的無意識も説明できそうな気もします。偶然の一致とは思えないようなセレンディピティーも森の仕業と考えると説明できるような気も。森脳が賢いなら、UFOなどの科学では説明できないものも森の仕業かも……。人類の歴史も森脳が全て記憶しているのかも……。秋の夜長に想いを馳せてみるのはいかがでしょうか。

以上の話は仮説であり、荒唐無稽な話ではないと思っていますが、検証された話ではありません。
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[C37] 小人の多数決

受動意識仮説は大変面白いと思います。
おそらく正しい方向性にあるものと思います。
ただ一点分かりにくいところがあります。
「小人の多数決」とは、脳の中で具体的にどのように行われているのでしょうか?
恐らく中野馨氏の連想神経回路とも関わりあると思うのですが、「小人」とか「川の流れ」という比喩を使うのでなく、ニューラルネットワーク的な言葉で、実際に脳の中でどのように、無意識部の中で「多数決」での決定事項が、ローカルな意識部位にボトムアップで上がってくるのかご説明いただけますでしょうか。
いくら著作や論文を拝見しても、そこがはっきりしません。
  • 2015-10-27 09:36
  • 中村
  • URL
  • 編集

[C38] Re: 小人の多数決

イメージとしては、パーセプトロンが多数接続された様子をご想像下さい。どこの神経発火が有効かを検出するパーセプトロンが他のパーセプトロンの出力層に接続されていれば、原理的には、多数決の演算を行なえます。
あるいは、川人光男先生の『脳の計算理論』の中に出て来る、バインディング問題の説明の部分もヒントになると思います。
  • 2015-11-25 20:47
  • まえの
  • URL
  • 編集

[C40] Re: 小人の多数決

ご返答ありがとうございました(気づくのが遅れました)。
参考にさせていただきます。
  • 2016-02-05 14:33
  • 中村
  • URL
  • 編集

[C41] 小人

受動意識仮説だと、人間の悪い行いは、その人の責任ではないということでしょうか?
争いや、略奪やすべての悪いことは

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プロフィール

Takashi Maeno

Author:Takashi Maeno
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(慶應SDM)ヒューマンシステムデザイン研究室教授
慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務
前野隆司

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