サンデー毎日で連載しています「みんなのウェルビーイング」。
21回目の今回は、2024年4月に武蔵野大学に開設するウェルビーイング学部ウェルビーイング学科についての想いを書きました。ウェルビーイングをどう教育すべきか!? ぜひ読んでみてください!
ウェルビーイングをどう教育すべきか!?
ウェルビーイング(幸せ、健康、心と体と社会の良い状態)についての連載を重ねてきましたが、ウェルビーイングにあふれた世の中を作るためには何をすればいいでしょうか? 大人がウェルビーイングについて学ぶこと、一人ひとりがやりがいとつながりを育むこと、制度疲労に陥った組織を改編すること、政府や省庁がウェルビーイングに取り組みこと……。いろいろありそうですが、教育者として大事だと思うのは、ウェルビーイング教育を行うこと。
そんな想いを実現する場として、武蔵野大学に2024年4月にウェルビーイング学部ウェルビーイング学科を作ることになりました。私は慶應義塾大学教授と兼務の形でウェルビーイング学部長に就任する予定です。
ここで行いたい教育は以下の通りです。まず、心理学を基盤とするウェルビーイングの基礎を徹底的に学びます。何が幸せに寄与するのか。そしてどうすれば幸福度を向上させられるのか。武蔵野大学は仏教系の大学ですので、仏教などの日本思想・東洋思想がどのようにウェルビーイングに寄与するのかも徹底的に学びます。一言で言えば「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」という仏教の慈悲の心などについて学びます。それから、AIの進展した時代にあって、人間にとって重要な学びは、知識を詰め込むことではなく、感性豊かに、創造性を発揮して、人間らしく個性豊かに生きること。ですから、たっぷりと、自然環境体験、地域体験、企業体験、国際体験を行います。世界がキャンパス、日本中がキャンパス、森や畑がキャンパスです。そして、豊かなアイデアで新しい世界を創造していくための教育。社会をウェルビーイングな世界に変えていくウェルビーイング・イノベーションの基礎と実践を学びます。
つまり、自分自身が幸せでやる気にあふれているのみならず、人々を幸せにする製品・サービスをデザインしたり、町やコミュニティーや職場をデザインしたり、新たな教育をデザインする、ウェルビーイング・デザイナーを輩出します。もちろんここでいうデザインとは、意匠デザインという意味ではなく、あらゆる物事を創造的に作り上げるということです。
よく、就職先はどこですか、と聞かれますが、新しい仕事です。AIが人間の仕事の多くを奪う代わりに、新しい仕事が生まれると言われています。もちろん既存の企業の企画部門、戦略部門、ウェルビーイング担当部門に就職する者もいるでしょうが、最も願っているのは、経済成長に偏りすぎて多くのグローバル・イシューを生み出してしまった世界を、ウェルビーイングにあふれた世界に刷新する仕事を創造する人です。明治維新を先導した坂本龍馬の言葉を借りれば、「日本を今一度、洗濯いたし申し候」です。令和維新の先導者の育成です。明るい未来を力強く歩む、活力溢れる人間の教育です。楽しみです。
2004年に発売された『脳はなぜ「心」を作ったのか』のために書いた原稿の一部が、実は、編集者の方から「SFチック過ぎる」と言われて没になりました。 あれから19年。確かに「50年で寿命が2倍に」は言い過ぎだったようにも思えますが。。。幸福学の研究を始めた2008年よりも前に書いた原稿ですが、愛について述べている部分など、幸福学に相通じる部分もあります。ご興味のある方はぜひ読んでみてください。 5・6 永遠の命は可能か? あと50年で平均寿命は倍になる 永遠の命は可能か。この問いは、ふつう、宗教的な、霊的な問いかけかもしれない。二元論者が好む疑問かもしれない。二元論者は、死後も霊魂は存続すると考える。しかし、心が脳の産物であると考えられる以上、死後の世界があるのではないか、という考えは、残念ながら期待薄だ。 ただし、科学は宗教を否定する力を持たない。地動説が地球中心の世界観を否定しても宗教はなくならなかったように、また、ニーチェが「神は死んだ」と言ってもそれが全人類に受け入れられたわけではないように、死後の世界が否定されても宗教は存在し続けるのかもしれない。科学と宗教は、目的や対象が違うのだから。 ただ、二元論には無理がある。『血液が血管の中を流れるのは、ポンプである心臓のおかげではなく、何か他の霊的な力が働いているはずだ』と考えるのは勝手だが、そんな考え方が一般に受け入れられないのはご想像通りだ。脳と心の話も同じだ。『心が存在するのは脳のおかげではなく、何か他の霊的な力が働いているはずだ』と考えるのは勝手だが、心臓はポンプではないというのと同じように、そんな考え方は百パーセント近い人が認めない時代が、もうすぐ、(いや、いつの日か、)来るだろう。 というわけで、私は宗教を敵にまわすつもりはないが、しかし、霊や死後の世界は絶対に存在しないと思っている。たぶんそう思っている人は、そうかもしれないが認めたくないと思っている人も含めると、少なくないのではないかと思う。 永遠の命は可能か。ここでは、人間の命を永久に、あるいは半永久的に、持続させることは可能か、という意味で、このことを考えてみたい。 楽観的に考えて、あと五十年くらい経つと、人の平均寿命は今の二倍くらいになるのではないかと思う。もちろん、テクノロジーの進展によって。 そんな無茶な、と思う人もいるかもしれないが、根拠を以下に述べよう。 自動車が故障したとき、故障した部品を修理するのと、その部品を新品と取り替えるのと、どちらが信頼できるだろうか?当然、交換だ。さびて穴が開いたガソリンタンクの穴をふさいでもまたその隣に穴が開く。磨耗してしまったブレーキパッドを修理することは難しい。それよりも、ガソリンタンクやブレーキパッドを新品に取り替えるほうが、はるかに自動車の製品寿命を高める。極端なことをいえば、すべての部品を新品に交換し続ければ、その製品は永遠に使える。 だから、人が作り出した製品が故障したときには、部品を交換してきた。電気製品を修理に出すと、いろいろな部品が交換されるので、本当にこんなに交換しなければならなかったのか、と疑いたくなるほどだ。 ところが、これまでの医療は、人の部品の交換ではなく、修理で対応してきた。それは、実は、交換部品がなかったからだ。胃に穴が開くとふさぐしかなかったし、関節が磨耗したら痛み止めを打ちながらだましだまし使うしかなかった。 修理技術から交換技術へ これに対し、最近は、人工の生体代替材料の開発が盛んだ。さらに画期的なのは、ティシューエンジニアリングやバイオテクノロジーの進歩だ。 ティシューエンジニアリングによって、人のからだの交換部品が作れるようになってきた。また、バイオテクノロジーの進歩によって、自分の内臓や組織を培養できるようになり始めている。これはすごい変革だ。人のからだの治療が、部品の修理から、部品の交換という全く新しいやり方に変わりつつあるのだ。 CCDカメラを大脳皮質の視覚野につないで、目の代替をさせよう、というような研究が始まっている。かなり情報量の小さい画像ではあるけれども、目の見えない人に、明るい・暗いといったパターン画像を見せることに成功している。また、筋肉に筋電計をつないで、手足にはめた電動義手や電動義足を動かせるようにしよう、という研究も始まっている。こちらもまだかなりラフな動きしかできないけれど、手足の動かない人や失われた人が、自分の力で食べ物を口に運んだり、歩行をしたり、できるようになり始めている。 このように、これまで修理技術の進歩によって伸びてきた人の寿命は、これから、交換という革新技術によって、画期的に伸びる。人のサイボーグ化といってもいい。これは楽観的な予想ではない。パラダイムシフトの必然だ。 バイオテクノロジーの発展に大きな役割を果たすもう一つの科学技術は、コンピュータ技術だ。 インテルの設立者が一九六五年に見つけたムーアの法則という経験則によれば、半導体技術(正確には、ICチップ上に集積されたトランジスタや抵抗などの素子数)は、一・五年で二倍になる。ざっと十年で百倍、三十年で百万倍、五十年でなんと百億倍だ。この果実は、これまでは工業製品の高度化やオフィス・工場の合理化として結実してきた。今後は、この技術が、遺伝子の解析や脳神経回路の解析にも大きく生かされるだろう。 遺伝子の解析は、ティシューエンジニアリングやバイオテクノロジーの発展につながる。つまり、どうすれば個別の内臓や組織を培養できるかが解析され実践されるだろう。もちろん、病理の原因や対処法の解析も進む。つまり、遺伝子解析技術は、からだの交換技術の進展に大きく貢献することになる。 脳も交換 また、脳神経回路の解析技術は、脳の交換可能性を大幅に高めるだろう。からだと同様、脳も交換可能になれば、人の寿命の延びはさらに加速するだろう。 脳神経はあまりにも複雑なので、部分的にせよ交換は難しいのではないか、という気もするが、楽観的になれる技術も出てき始めている。 人の神経回路網がもつ柔軟な適応能力だ。人の神経回路網は、そもそも群れで情報処理をしている。一つの神経細胞が何らかの意味を表すわけではなく、いくつもの神経細胞群の発火パターンが何らかの意味を表す。そして、訓練すれば、ある場所の神経回路網が他の場所と同じ処理をこなす、というようなことも難しくない。 たとえば、脳梗塞を経験した人がリハビリをすると、失われた運動能力や言語能力が再現する。これは、脳梗塞により失われた脳神経回路とは別の脳神経回路が、同じ機能を代替することによる。また、強引な研究だが、大脳の視覚野に耳を、聴覚野に目をつないでやると、なんと、視覚野が聴覚情報処理を、聴覚野が視覚情報処理を行なえるようになるという。 だから、実は、ある程度ラフに人の脳神経回路網と人工の神経回路網をつないでやれば、しばらくのリハビリの後に、人の脳神経回路網のほうがその接続に適応するというマジックが期待できる。脳神経回路網一本一本の役割がすべて解明されていなくても、どこに何をつなげばどんなことができるのか、ということが明らかになっていくのだ。そんなわけで、多くの脳神経学者やロボット工学者が予想するよりもかなり早い時期に、人のサイボーグ化が進展していくだろう。 サイボーグ化できないのは〈私〉だ。なにしろ、〈私〉は自己意識のクオリアだから、これを入れ替えることができたとすると、前野隆司がいなくなり、前野隆司二号になってしまう。 幸い、〈私〉は無個性なクオリアに過ぎないから、〈私〉を作り出すニューラルネットワークは、大脳全体に比べればはるかに小さい。だから、もしも〈私〉がどこにあって、他の箇所とどんなふうにつながっているかが解明されれば、それ以外のからだと脳のすべてをサイボーグ化することによって、人は生きながらえることができるようになるだろう。〈私〉以外の部分の調子が悪くなったら、人工物に交換すればいい。身体と心の機能が、義手、義足、義眼、義「知情意」、義「私」といった人工物に代替され、究極的には、〈私〉以外のすべてを置き換えることができるようになるだろう。 あと五十年で人の平均寿命が今の二倍になる、という私の予想は、今述べたような理由により、はったりではない。楽観的であることは認めるが、実現不可能な夢物語ではないと思っている。二十世紀はコンピュータがどんどん進歩した時代だったのに対し、二十一世紀は人の寿命がどんどん延びる時代になる。 科学技術の進歩はとどまるところを知らない。楽観的な予想をさらに延長すれば、以下のようになる。 人の寿命をいま二百歳くらいにできるならば、そして、科学技術がさらに順調に進展するならば、今から百年から二百年の後には寿命を三百歳にするくらいの技術が見つかることだろう。だから、人は三百年生きられることになる。次の百年のうちには寿命を四百歳にするくらいの技術が見つかるだろうから、四百年生きられる。四百年生きていれば……。残念ながら私たちの世代には間に合わないが、私たちの子供の世代では画期的な長寿が実現できるのかもしれない。 もうひとつの永遠の命 私が永遠の生命は可能だと考えるもうひとつの筋道についても述べよう。実はこちらが本題だ。 それは、仏教の悟りの境地に似ている。修行は不要だが。あるいは、ガイア仮説とも似ている。 先ほども述べたように、〈私〉というのは無個性な小さな存在であり、あなたが持っている大切な〈私〉も、隣の人が持っている〈私〉も、基本的に何も違わない。〈私〉は、高度な生命体さえあれば、どこにでも簡単に生じるものだということができる。何千年も前の人が持っていた〈私〉も、何億光年のかなたに住む宇宙人の〈私〉も、あなたの〈私〉もわたしの〈私〉も、そしてたぶん魚の〈私〉も、みんな本質的に同じものなのだ。なんて普遍的で超時空間的であることか。 そんな〈私〉を集合体として見たとき、これが永遠でなくてなんだろう。〈私〉のネットワークは、時間を超え、空間を超え、無限にちりばめられていて、永遠に続いていく。そう考えると、永遠の命は可能だ。あなたの知情意と記憶の命は有限だが、あなたの〈私〉の命は、輪廻のように、永遠に、確実に、受け継がれていくのだ。 眠る直前とか酔っ払ったときのなんともうつろな気持ちのいい状態は、永遠の命を垣間見ている幸福なのかもしれない。 眠くて気持ちがいいとき、あるいは酔っ払って気持ちがいいときとは、自分という現象が外側からあいまいになっていき、身体、「知情意」、「私」の中の〈私〉以外の部分が次第に取り除かれていった状態だ。つまり、〈私〉だけに近づく体験。これは、前に述べた宗教家の断食体験とも似ている。自分から余計なものを取り除くと、世界とつながった〈私〉だけになる。だから至福の気分になれるのかもしれない。 そして人は眠りにつく。眠りとは、意識のない状態。つまり、自分が次第に薄れていって、ついには〈私〉さえも取り除かれた状態だ。これは〈私〉にとっては死と同じだ。朝になると再び〈私〉が現れる、という点が死と違うに過ぎない。 つまり、眠りにつくときの気持ちとは、自分からすべてを取り除き、最後には〈私〉をも取り除くことによって、時間を超え、空間を超え、無限にちりばめられた〈私〉のネットワークの境地を垣間見る、仮想の死なのではないかと思う。 5・7 愛・真・善・美とは何か? 私たちはなぜ人を愛するのか? ささやかな〈私〉は時空を超えて宇宙に広がるネットワーク。そう考えると、私たちの自己意識である〈私〉は、なんだかほっとした気分のクオリアを実感する。〈私〉はひとりぼっちじゃない!しかし、同じような〈私〉が世界にたくさん散らばっていたとしても、それらがただ離れて孤独に存在しているだけだったとしたら、あんまり嬉しくない。というより、むしろ、寂しい。〈私〉たちは、孤立しているのだろうか。それとも、つながっているのだろうか?つながっているのであって欲しいが、もしそうなら、どのようにつながっているのだろう? 「心」を辞書で調べてみると、「心をこめる」「心を尽くす」「心ある」「心から感謝する」「心遣い」「心尽くし」「心強い」「心憎い」「心変わり」「心残り」など、情緒あふれる表現が並んでいて、人と人との暖かいふれあいを感じる。そう言われてみればそうだ。この本では、これまで、「心」は「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」から成る、などとかたいことをいってきたが、考えてみれば、心とは、もっと暖かいものだった。心と心はそもそもふれあっていたのだ。心のふれあいという、人間にとって最も根源的で大切なことと、〈私〉や「私」はどう関わっているのだろうか。 このことを考えるための鍵は、「愛」だ。 「愛」は一般に科学技術の研究対象ではないことになっているが、少し考えてみよう。 「愛」は少なくとも無機質な物理世界には存在しない。心が生み出したものだ。「嬉しい」「悲しい」といった一人称的な「情」と深く関わっているが、他人や外界との積極的な関わりあいである「意」にも関係している。単に「知情意」の一部なのではなく、心が作り出した「私」の大切な機能だと考えられる。 私たちは人を愛する。異性を愛し、子供を愛し、人類を愛し、大自然を愛す。もちろん、自分も愛する。なんのためにそんなことをするのだろうか?愛とは何なのだろうか? ドーキンス(「利己的な遺伝子」ドーキンス(科学選書))は、人間の営みはすべて利己的な遺伝子の仕業だと考えた。つまり、人は遺伝子の乗り物に過ぎず、人のあらゆる営みは、自分たちの子孫を存続しようとたくらむ遺伝子に操られた結果に過ぎないというのだ。単純化していえば、人が生きるのは子孫繁栄のため、子孫繁栄は種の保存、すなわち、遺伝子の持続のため、ということになる。当然、愛、というクオリアも、遺伝子が作り出した概念、ということになるのだろう。 フロイトは、あらゆる心理状態は、無意識下のリビドー(性衝動)に帰着できると考えた。つまり、人のあらゆる行動は、根源的には性欲に支配されているというのだ。種を保存し遺伝子を生き延びさせるために必要なのは子孫繁栄だから、確かにすべてを性に帰着できるような気もする。 「愛」も、異性を思う愛情と、子供を思う愛情の二つに帰着させることを考えてみれば、なんとなく納得がいく。あらゆる愛情はこのふたつで表現できるような気がする。大自然や神を愛する気持ちは、母に抱かれた感じ(親の愛への依存)に相通ずるものがあるし、大学の学生が巣立っていくときの喜びは子供の成長の喜びに相通ずるものがある。そして、異性も子どもも子孫繁栄に関連する。そう考えると、愛とは本来、子孫繁栄のためなのものなのか、という気がしてくる。 愛とは〈私〉のネットワークの再確認 しかし、子孫繁栄と遺伝子の存続にすべてを帰着させようという、今はやりの議論には、私はなにか胡散臭さを感じる。なんだか、うそっぽい。 私は、未来の子孫とか遺伝子とかには関係なく、リビドーにも関係なく、いま、ここにある自然や宇宙、ここにいる妻や子供たちを、もっと純粋に、素朴に、真摯に、愛しているんだよ、という気がする。「私」の中に存在している愛というクオリアは、もっと本質的に「私」の性質の一部であるような気がする。 私は、そんな直感は正しいと思う。つまり、ドーキンスやフロイトの主張とは違って、愛とは素朴に、〈私〉のネットワークの確認手段として心の中に生じた概念なのではないか、と思う。 つまり、こうだ。 異性や、親や、子など、あなたにとってかけがえのない人とのコミュニケーションは、あなたにとって最も大切な営みのひとつであるに違いない。これはなにかというと、大切な人とのコミュニケーションの結果、大切な人とのインタラクションの内部モデルをあなたの脳内に構築するということだ。 コミュニケーションしている相手の人はこう考えているに違いない、と類推するための内部モデルが脳内にあることを、『人間は「心の理論」を持つ』という。「心の理論」という他人の行動や言動の内部モデルを使って、〈私〉や「私」は世界とインタラクションしている。 〈私〉や「私」と世界とのインタラクションが性的である必然性はない。様々な形でのコミュニケーションがとれればいい。それに、遺伝子に頼らなくても永遠だ。なぜなら、同じ〈私〉が世界中に星の数ほどもあるのだから。 インタラクションの結果、私たちが、異性や子どもや他人や外部世界を愛するということは、それらの内部モデルを愛するということに他ならない。これは、他人の中にも〈私〉がいることを発見するとともに、自分の中にある〈私〉と他人の〈私〉が同じであることをかいま見たことの安堵感なのではないだろうか。 生物はまとまりを作り出すシステムだといわれる。原始生物は自己組織化によって形作られたし、神経はよく使われるほどよく発火する。神経はまとまって発火するときに意味や記憶を形成し、協調的な情報処理を行なう。視覚の錯覚は脳がそうであって欲しいと思う方向にゆがめられた結果だし、聴覚や触覚にも同様な錯覚が知られている。人は他人と協調しているときに安堵するし、物事に意味や価値というまとまりを見つけようとする。価値を共有する社会では人々は同じような考えを持つ。作り出されたまとまり自体が生物や生物社会そのものだといってもいい。 〈私〉が世の中にたくさん散らばっているとき、それらはやはり生命の原理に従い、まとまりを作り出すことを目指す。〈私〉のネットワーク作り。そのために作り出された仕掛けのひとつが、愛なのだ。つまり、誰の心の中にもある〈私〉は、皆、ひとりではない、ということを感じるために、自己組織的に、ボトムアップに作り出された概念が、愛なのだ。〈私〉のネットワークを実感し安堵したいという心の叫びによって。 〈私〉たちは、みんな、純粋に、仲間だ。そして、〈私〉たちは愛によってつながっている。〈私〉たちはひとりではない。 真・善・美とは何か? 話はそれるが、愛のついでに真・善・美についても述べよう。真・善・美も、愛と同じく、物理世界には単独で存在しない。だから、これらも、人間の心が作り出した概念であることは間違いない。 いや、宇宙の根本原理のように物理現象の真理・真実というのは存在する、という人もおられるだろう。ここでは、そうではなく、数学でいう真偽の真、つまり、正しいか正しくないか、という概念のことを考えてみたい。 それから、善は、良いか、悪いか。 そして、美は、美しいか、醜いか。 これらは哲学の研究対象だということになっているが、私もこれらにとても興味がある。愛と同じく、直感的に、「私」の中にある重要な何かだという気がする。このため、私は、真とは何かを知りたくて科学技術に携わっている。善とは何かを知りたくて、最近は倫理について教えている。美とは何かを知りたくて、趣味で絵を描くし、大学で盆栽や人の歩行の美しさの研究をしたこともある。 しかし、これらは心が作りだしたものだから、何が真か、何が善か、何が美か、という問いには絶対的な正解はない。 正しいと思っていたことが正しくなくなることは、歴史をひもとけばいくらでもある。良いと思っていたことが良くないことになることもある。戦争や紛争を見れば明らかだ。戦う者は、どちらも、自分たちの方が真であり善であると考えている。価値は相対的で、正解がないから、世界中で戦争や紛争が絶えないのだ。 美しさも普遍的ではない。日本では昔はおたふくが美人だったが、今は西洋風の顔が美人ということになっている。つまり、真に美しいものなどない。やはり、価値は相対的だ。 これらは心の中の意味記憶によって、環境という文脈の中で定義されたものだ。真・善・美についての考え方がいくら多様だろうと、これらは心が作り出したものだ。 では、なぜ、心は真・善・美という概念を生み出したのだろうか? やはり、そうであると都合がいいようなまとまりを、心がボトムアップにみつけ出した結果なのだと考えられる。 愛のところで述べたように、生物はまとまりを生成しようとするシステムだから、形成されたまとまりが、真であり善であり美であるということに過ぎないのだと思う。 視覚の錯覚と似ている。錯覚は、そうであったら都合がいいように見えてしまう現象だ。同じように、それが真であったら自分や社会にとって都合がいい、それが善であったら自分や社会にとって都合がいい、それが美であったら自分や社会にとって都合がいい、という原理によって、小びとたちの多数決で形成された概念が真・善・美なのだ。 人間の意識である「私」は受動的なのに、あたかも主体的な存在であるかのように錯覚しているのだった。同じように、人間の価値規範である真・善・美は相対的なのに、あたかも絶対的なものであるかのように錯覚している。錯覚とは言わないまでも、それぞれの人ごとあるいは社会ごとに価値基準を決めて、それにしたがっている。 主体的であると錯覚している「私」たちが、真・善・美は絶対的なものであるかのように錯覚する、というのは結果的にまとまりを自己組織化する生物の原理から考えて、もっともな気がする。トップダウンに自分を支配する「私」がいるのではないのと同じように、トップダウンにこれが真、これが善、これが美、と与えられているのではない。小びとたちの多数決によって、ボトムアップに自分なりの真・善・美を決めていくのだ。人の社会といっしょだ。 家族、学校、地域、会社、政党、学会、宗教、国家など、人は様々な大きさの社会を持ち、その社会の中での真・善・美の規範をきめている。あなたの小びとたちはこれと同じことをやっている。生物の原理は個体レベルでも群レベルでも同じようなものだから、心の社会は実社会の縮図であり、人間たちがやることと、小びとたちがやることは大差ないということだ。 そして、その作用は愛と似ている。人と人とのつながり、結局は、〈私〉と〈私〉とのつながりを再確認して安堵したいがために作り出された概念なのだ。
@
2023-04-02
本
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拙著『
思考脳力のつくり方 仕事と人生を革新する四つの思考法 』(角川oneテーマ21、2010年)の47〜48ページに載っているバッソらの研究結果。
システム思考ができる人ほど幸福で楽観的 まず、図1を見ていただきたい。イメージを覚えていただけただろうか。
次に、図2の二つの図を見ていただきたい。よろしいだろうか。
では、図2の(a)と(b)は、どちらが図1に似ていただろうか? 考えを、直感的でいいので、お答えいただきたい。
さて、皆さんの答えは、(a)、(b)のどちらだっただろうか?
以上は、心理学者のバッソらが行なった、視覚についての研究の一部だ。実は、(a)と答えた人は、広い視点を持つ人、(b)と答えた人は細部に焦点を当てがちな人だといえる。システム思考が得意な人と、要素還元思考が得意な人と言い換えてもいいだろう。なぜなら、(a)は四つの図形から成るという全体的な特徴が、(b)は要素の形が同じであるという部分的な特徴が、図1と一致しているからだ。
バッソらは、似たような課題を32個解いてもらって、そのうち広い視点の図をいくつ選んだかをスコアとして記録した。
同時に、あなたは楽天的ですか・悲観的ですか? 幸福感が高いですか・低いですか? という質問も行なった。その結果、広い視点の図を選ぶ人は楽観的で、かつ、幸福感の高い人である、という傾向が得られたのだ。
要するに、システム思考が得意な人は、楽観的で、幸福である可能性が高いということだ。
母の手作りのウサギです。今年もよろしくお願い致します。
日本から世界に発信すべき思想・哲学のコアは神道・仏教なのではないか。
これには異論のない人も少なくないかもしれない。
では、神道の何を、仏教の何を、世界に発信すべきなのか。
今日結構分かった気がするので、VOICYで話しました。
いかがでしょうか?
科学としての神道と仏教。神仏習合としての神道・仏教。
倭の国、和の国、日の本の国から世界に広めるべき思想は、
Great peace and hermony.(大和)
well-beingで平和な世界のために、
人類3.1として行うべきことについて
voicyで述べました!
【2022年10月11日 06:00配信】
#287 神道は元々共同体を守るため、仏教は元々魂の救済のため、そして両者は日本発の世界のための思想になり得るのではないか!? - 前野夫妻の幸福学TIPS
https://r.voicy.jp/Rp9pJOqYKGP
対話とブレーンストーミングの条件はにている、ということについてvoicy(前野夫妻の幸福学TIPS)で話しました。音声の視聴は
こちら 。
対話の条件(アイザックスによる)
・Listening 傾聴する
・Suspending 判断・批判を保留する
・Respecting 尊重・尊敬する
・Voicing 素直に口に出し自己開示する
ブレーンストーミングの条件
・他人のアイデアに乗っかる
・批判しない
・ワイルドなアイデア大歓迎
・質より量
voicy「前野夫妻の幸福学TIPS」での説明のために、集団主義-個人主義、幸せ-不幸せの2軸図を描いてみました。説明はvoicyで!
【2022年09月21日 06:00配信】
#267 幸福経営は昭和に戻ることですか?それは上司だけが幸せなのでは?もっと距離を取る方が幸せなのでは? - 前野夫妻の幸福学TIPS
https://r.voicy.jp/ybKygJwe9R7 図 集団主義-個人主義、幸せ-不幸せの2軸図
第37回伯翠会書展は、2022年11月17日(木)から20日(日)まで(11時から19時、ただし最終日は17時まで)、銀座かねまつホール(東京都中央区銀座6-9-9銀座かねまつ5F)にて行われます。
私、前野隆司は、11/19と11/20の午後にいる予定です。ぜひお越しください!
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
Voicyは
こちら 。
楠らの児童養護施設の人々の幸福度を高めるワークショップ
楠 聖伸,保井 俊之,前野 隆司,
児童養護施設入所児童の主観的幸福度を高めるグループ 学習型ワークショップの提案と有効性の検証 ,日本創造学会論文誌,Vol. 25,2022年4月
タイトル
図1 幸福度を向上するための方法論の構成要素。
図2 ワークショップの概要
図3 自己受容をテーマとしたワークの流れ
図4 参加者が作成した自己受容ポートレイトの事例。
図5 ワークの流れ
参加者のコメントの例
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
Voicyの試聴は
こちら 。
石田らの感動ストーリーの作り方の研究。
石田泰博,前野隆司,井原くみ子,北村勇気,
感動ストーリーの発掘・共有ワークショップによる組織開発の有効性検証 ,日本創造学会論文誌,Vol. 24,2021年4月,pp. 15-38
タイトル。
STAR分析とは。
感動ストーリー発掘のための質問表。
感動ストーリー共有のための三幕構成表。
感動ストーリー共有のための質問表。
感動の発掘・共有ワークショップの手順。
ポジティブな噂話の設定イメージ。
Aさんの事例。
Bさんの事例。
Cさんの事例。
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
Voicyは
こちら 。
魚地らの楽観性の分析と、楽観性を高めるワークショップの研究。
魚地朋恵,前野隆司,越川房子,
「楽観性向上プログラム」の開発 ,日本創造学会論文誌,Vol. 23,2020年4月,pp. 76-91
タイトル。
因子分析結果。
因子名および楽観性との関係
楽観性を高めるワークショップの概要。
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
Voicyは
こちら 。
井上亮太郎らの働くワクワクの分析。
井上亮太郎,保井俊之,前野隆司,
仕事におけるワクワク感に関する研究−因子分析及び共分散構造分析を用いた要因の導出と構造化− ,日本感性工学会論文誌,vol. 19, No. 2, 2020年4月, pp. 215-222
タイトル。
因子分析結果。
因子の名称。
共分散構造分析結果。
結果の説明図。
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
【2022年08月19日 6:00配信】
#234 ハッピーワークショップの幸福度向上効果(前野マドカらの論文その2) - 前野マドカ&前野隆司(well-being研究者)
https://r.voicy.jp/kaK5vjg4mBN 前野マドカらと書いたハッピーワークショップの論文。
前野マドカ,前野隆司,櫻本真理,“
ハッピーワークショップ”の幸福度向上効果 ,支援対話研究,第4号,2017年3月,pp. 3-16
タイトル。
ウェルビーイングとレジリエンスの関係。
幸せの4つの因子と諸外国のレジリエンス向上プログラムとの関係。
ハッピーワークショップと自己肯定感の関係。
ハッピーワークショップの流れ。
3時間バージョンの概要。
オンラインカウンセリングサイトcotreeでの4×4項目のワーク
ファシリテータの留意点。
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
【2022年08月18日 06:00配信】
#233 2×2欲求マトリクス 利他的コンセプト創出法 - 前野マドカ&前野隆司(well-being研究者)
https://r.voicy.jp/YQm4g70aK2W #Voicy
麻生さんの論文のダイジェスト版。
麻生陽平,白坂成功,保井俊之,前野隆司,
2×2欲求マトリクス-心理的価値に基づく利他的コンセプト創出法- ,日本創造学会論文誌,Vol. 16,2013年2月,pp. 171-189
タイトル。
欲求の2×2マトリクス。
コンセプト創出のプロセス。
結果の一例。
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
【2022年08月17日06:00配信】
#232 前野マドカらによる吉備野工房ちみちの研究(みんなが幸せになる達人育成) - 前野マドカ&前野隆司(well-being研究者)
https://r.voicy.jp/wWK83GLNVB7 #Voicy
Voicyを聴きながらみると、分かりやすいと思います!
前野マドカらと書いた吉備野工房ちみちの人材育成の研究のダイジェスト版。
前野マドカ,加藤せい子,保井利之,前野隆司,
主観的幸福の4因子モデルに基づく人と地域の活性化分析―NPO法人「吉備野工房ちみち」のみちくさ小道を事例に― ,地域活性研究,Vol. 5,2014年3月,pp. 41-50
タイトル。
みちくさ小道の活動の全体像。
吉備野工房ちみちの人材育成モデル。
共同行為における自己実現の段階モデルによる自己実現の遷移図。
達人の自己実現の様子。
コーディネータの自己実現の様子。
幸福度の上昇効果。
Voicyで論文の解説をするシリーズ。
Voicyでの説明はこちら(19分23秒)
https://voicy.jp/channel/2318/372091 坂倉杏介先生らと書いた、芝の家の論文のダイジェスト版。
坂倉杏介,保井俊之,白坂成功,前野隆司,
「共同行為における自己実現の段階モデル」による「地域の居場所」の来場者の行動分析:東京都港区「芝の家」を事例に ,地域活性研究,Vol. 4,2013年3月,pp. 23-30
タイトル。
芝の家の外観と内部の写真。
共同行為における自己実現の段階モデル。
スタッフになって活躍する人の例。
ラジオの活動で活躍する人の例。
以下のように2020年にリリースして以来、いろいろな職場でご利用いただいてまいりました「はたらく人の幸せ/不幸せ診断」が無料になります。
2020/07/15のニュースリリース。
慶應義塾大学前野研究室とパーソル総合研究所、 「はたらく人の幸福学プロジェクト」の成果を発表 はたらく幸せ・不幸せをもたらす7つの要因を特定。 誰でも幸福度を測れるツールを公開 このページ、興味深い結果がたっぷり載っていますので、ぜひご覧ください。さて、このページの最後の方には、
※「はたらく幸せ/不幸せ診断」について、学術目的や私的な使用はもちろん、自組織内での使用は「無償」となります。ただし、商用目的で使用される場合、必ずパーソル総合研究所にお問い合わせください。
とあります。つまり、これまでも、学術目的や私的な使用、自組織内での使用は「無償」でした。しかし、コンサルタントや研修講師の方が商用目的で使用される場合は有償でした。
これに対し、この度、慶應義塾大学前野隆司研究室とパーソル総合研究所では、話し合いの結果、営利・非営利にかかわらず、無償といたします。このページには「必ずパーソル総合研究所にお問い合わせください」とありますが、こちらも変更になります。パーソル総合研究所へのお問い合わせは原則として不要となります。ただし、どんなふうにご利用いただいているかを教えていただけますと、前野隆司研究室およびパーソル総合研究所としては励みになりますので、どのようにご利用いただいているのかをお知らせいただけますと嬉しいです。
また、せっかく無償提供致しますので、これを機会に、「どうすれば14因子を高めることができるのか」をともに明らかにしていくプロジェクトを開始しました。「14因子向上事例集作成」プロジェクトです。こちらは、一般社団法人ウェルビーイングデザインが主宰する「はたらく幸せ研究会」の内部の分化会ですが、分科会での話し合いの結果、分科会の内部に閉じず、広く一般の方にも「14因子向上事例集作成」プロジェクトに関わっていただいてもいいのではないか、ということになりました。つきましては、ご興味のある方は、ぜひご参加ください。参加いただいた方には、もちろん、「14因子向上事例集作成」を共有できると思います。
さっそく、このことについてのYouTube動画も撮りました。以下に共有しますので、ぜひご覧いただき、ご一緒いただければ嬉しいです。
「はたらく人の幸せ/不幸せ診断」についての重要なお知らせ ちなみに、ご参考のために、14因子についての過去のYouTube動画も紹介しましょう。14因子についての理解が深まると思います。
はたらく幸せ 公開講座 第1回 「はたらく人の幸せ/不幸せ」の14因子を知ろう (2020/12/23)
はたらく幸せ 公開講座 第2回 「はたらく人の幸せ/不幸せ」の14因子を活かそう (2021/01/04)
幸福学に関する最近(2021年)の二つの論文の結果の一部を紹介します。
ひとつめ。
喜多島知穂,飛鳥井正道,末吉隆彦,磯崎隆司,前野隆司,
主観的ウェルビーイングの分析と構造化 -因子分析と偏相関関係分析を用いた心理的要因間の関係解析-,日本感性工学会論文誌,Vol. 20, No. 2,2021年4月,pp. 129-139
変相関関係分析という手法を用いて、幸せの4つの因子を構成する要素のどれとどれが直接相関するかを図式化した結果。下の図の通り「人生満足尺度」と直接相関するのは「自己受容」であること、「ポジティブ感情」に直接相関するのは「将来への希望」であること、「ネガティブ感情」に直接相関するのは「心配事がない」であること、「自己受容」「人生の意義」「自尊心」は他の多くの項目と直接相関するハブとなっていること、第2因子「自己受容と楽観」、第3因子「自己実現と成長」は幸せと直接関係する傾向が強いが、第1因子「つながりと感謝」、第4因子「自信と自分らしさ」は間接的に幸せに影響していることなど、この図をじっくり見ているといろいろと興味深いことがわかります。
ふたつめ。
喜多島知穂,前野隆司,中尾睦宏,主観的well-beingに影響する心理的要因の特徴:コロナ禍におけるアンケート調査,日本心療内科学会誌,Vol. 25, No. 2,2021年7月,pp. 81-95
2021年に掲載されたこの論文では、幸せと弱い相関を持つ事柄も含めて因子分析を行った結果、8つの因子が得られています。「あるがままの受容」「自己へのゆるし」「思いやりと感謝」「生きがい」「信心と精神性」「自己内外への意識」「挑戦と成長への意志」「他者への寛容と協力」の8つです。
こちらについてはYouTubeでも解説しています。
幸福学入門 幸せの4つの因子から8つの因子まで 52分間の動画です。ぜひご覧ください。
また、このブログについて、voicyで解説しています。全18分。こちらもお聞きください。
https://voicy.jp/channel/2318/365675
日本経済新聞夕刊の人間発見というコーナーに、2022年4月11日(月)から15日(金)まで5日間にわたって「幸せはどこにある」と題して取材記事を掲載していただきました。
ただし、新聞って、本人によるチェックができないんですよね。このため、細かいことを言うと誤りも多々あります。すこし訂正します。
①一番下の段
企業の目的は利益を上げることですが→企業の目的は利益を上げることだと考えられがちですが
②「皆の役に立つから医者になりたい」と言ったら「偽善者」というあだ名をつけれらたことになっていますが、正確には、あだ名をつけられた理由は思い出せません。取材でもこのように言った覚えはありません。
③共通の友人であるキヤノンの同僚が遊びに来て、2人で車を飛ばして、とありますが、遊びに来た友人は3名。現地駐在中も友人も含め、5名でサンフランシスコに行きました。
慶應の理工学部を再度応募とありますが、一度目は慰留されて応募しなかったので、応募したのは次の年だけです。
それから、幸福学はSDGsに貢献できるのではないかと考えた、とありますが、幸福学を始めたのはSDGsよりも前です。
④幸せの4つの因子を求めるために3〜4年かけて分析、と書かれていますが、分析したのは1〜2年。その後本になるまでを含めると3〜4年です。
幸せの4つの因子の4つ目「ありのまま」→「ありのままに」。
⑤特にミスはありません!ふたりで着ているハッピは、shiawaseシンポジウムのために作ったハッピーハッピ、著名なデザイナーの田子學さんにデザインしていただいたものです!
2022年3月、4月、5月に本を出す予定です。
(1) 3月に出るのは、『
ウェルビーイング 』(日経文庫)。妻の前野マドカとの共著です。3/19発売予定。すでにアマゾンにも載っていますね。これは「ウェルビーイング」についての解説書です。学術界、政界、産業界etcにおけるウェルビーイングの動向について2人で語っています。本書の「はじめに」をこのブログの後半に掲載します!
(2) 4月には、ホワイト企業大賞やSalon de Tenge(天外さんのオンラインサロン)でもご一緒させていただいています天外伺朗さんとの対談本がワニ・プラスから出ます。『
無意識の整え方 』以来、何冊か出してきた、無意識対談シリーズ。ついにウェルビーイング界の長老(!?)天外伺朗さんとの対談。成人発達理論や実存的変容についての天外さんのお考えを楽しく聞き出しています。いまのところの仮題は『語り得ないものを語る』(変わるかもしれません)。出版をお楽しみに〜。
(3) そして5月には、還暦記念集大成の280ページ、2200円の本をプレジデントから出します。私の代表作である『
脳はなぜ「心」を作ったのか 』『
幸せの日本論 』『
幸せのメカニズム 』『
ウェルビーイング 』を足して発展させたような内容です。力作です。世界への愛を思いっきり語っています。タイトルは『ディストピア禍の新・幸福論』。こちらもお楽しみに〜!
というわけで、毛色の違う3冊を3月から3連発! ちなみに妻の前野マドカも、3月は私との共著『ウェルビーイング』(日経文庫)、そして4月には子育ての幸せについての単著『子どもの人生を豊かにする4つの心の育て方』(あさ出版)を出版予定。マドカの単著も楽しみですね〜。
どれもいい本です。読書の春です。お楽しみに〜。
ついでにいうと、今年の初めから毎朝6時にVoicyやってます。「
前野夫妻の幸福学TIPS 」。こちらはカジュアルに5〜10分、幸福学についてのヒントを語るもの(というか夫婦でリラックスして笑っているだけという噂も)ですが、こちらもぜひご試聴ください! よかったら、フォローしてください! さらについでにいうと、ウェルビーイングな社会を広めるために行っている
一般社団法人ウェルビーイングデザイン の活動をわかりやすく紹介するために、
社団のホームページ を一新しました。こちらもぜひご覧ください。幸せに生きるためのヒントがいっぱいです!
というわけで、いろいろと話がそれました(笑)が、今日の目玉は、『ウェルビーイング』(日経文庫)の「はじめに」。以下に掲載します。ぜひ、読んでみてください!
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@
2022-02-13
本
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メリークリスマス!VIDEO ホワイトクリスマスを歌ってみました(笑) お粗末様でした。
中島岳志「なぜ今、利他なのか」 中島岳志(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)
これは面白い。
インドの言葉の与格。
昔、インドの方々に受動意識仮説の話をしたら、それは当然そうだろう、と、言われて驚いたことの謎を解くヒントがここにはありますね。
ヒンドゥー教と仏教の違い、大乗仏教と上座部仏教の違いなどの話もわかりやすいです! 納得。共感。会ってみたい!
2021年11月30日。サティシュ・クマールさんの講演会を開催しました。なんと申し込みが750人という盛大な会に!
「事後に字幕をつけてYouTubeで公開します」と申し上げましたが、早く見たいという声が多く上がっていますので、まずは字幕なしで公開します。
https://youtu.be/XkJCu_N6iHs サティシュ・クマール氏が、9歳から18歳までジャイナ教の僧侶だったこと、母、マハトマ・ガンジー、バートランド・ラッセル、E. F. シューマッハなどの影響を受けたこと、リサージェンス(再生)マガジンのこと、シューマッハカレッジのことなどについて英語で語ってくださっています。また、後半では、参加者からの質問に答えてくださっています。
ジャイナ教って、生き物を傷つけないこと、自然から必要な量だけ受け取ること、所有をしないこと、断定をしないこと、など現代人にとってとても参考になる思想を持つ宗教です。サティシュ自身が言っているように、現代におけるエコロジーとの親和性が高いですね。
そのあと、核兵器に反対して世界中を歩き、日本でも東京から広島まで歩いたこと、日本が美しく、日本人は誠実で、親切で人間性に溢れる国民であること、そしてシューマッハ・カレッジについても語られています。質疑応答もためになります!
「自然に学ぶべき」
「学校は左脳ばかりに着目しすぎ。右脳と心と身体も重視すべき」
「何をするにも、愛を持って行うべき」
「スピリチュアリティとは、すべてのことを愛とともに行うこと」
「仕事を探すな、自分自身の仕事を作れ」
「自然の中を歩くのが好き。いつも発見がある」
どの発言にも共感しました。
書家の嶋田彩綜先生に、作品制作のための書き方のご指導をしていただきました。先生の言葉集。 「手で書いてはいけません。(立って書くとき)丹田の動きが膝から筆へと伝わるように」 「丹田から自由に出て来る自分のエネルギーを書にする。自分を信じて」 「二度と同じ作品はない。前にうまく行ったから同じようにしようという気持ちは捨てて。形を良くしようとしてはいけません。形のことは忘れ切る」 「前野さん、わかりますか?」 「はい。わかりますが、できません」(笑) 「わかるとは、さすがです」 できないけど論理としてはわかる理由は、他で経験しているから。ほんと、わかります。今回の気づきは、本質を頭で理解できたと思えても、違う分野になるとすぐには体で実行できないということ(あたりまえですけどね)。 とはいえ、本質はとっても似ているんですよ。 たとえば、僕が研究指導の時に学生に言っていること。 「審査の先生の質問に答えることが目的ではない。本当にやりたいことを成し遂げて、伝えよう」 「他人の言葉に振り回されるな。自分を信じて」 「全ての研究は違う。他の研究の型を真似してはだめ。それぞれ異なるから。自分の形を作れ」 あるいは、華道、茶道、能、ダンス、その他すべての芸術でも同じ。 かつてコンテンポラリーダンスの師匠、故黒澤美香先生にも言われたものです。 「形を作ろうとしてはだめ。無意識から出てくる形に従う。それがアート」 「真剣に。作ろうとしてはだめ。自分の中から出て来るものを感じて」 「時々、ほんのたまに、中から出てきたものが場と一体化する至福の時がある。これがダンス」 仏道も同じ。 悟りとは語り得るものではありません。主体的な経験ですから。 悟ろうとして悟れるものではありません。それを超越していますから。 確かに、すべての学びは、「教えないとわからない」、しかし「教えると、本質はわからない」という自己矛盾なんですよね〜。 要するに、教育とは、どこまでわかって、どこからはわからないかということを、早めに気づかせるパスに過ぎない。 ある研究をしている教え子兼親友とも同じ話をしました。語り得ないことを、研究としていかに伝えるか。これはむずかしい。しかし、不立文字と言い切ってしまうとコミュニティー以外には伝わらない。だから、どこまで伝わって、どこからは伝わらないかを、明確化してみるのが研究というアプローチなのではないか。 言葉では伝えきれないことについて、深く考えたり感じたりすることのできた日々でした。充実。日々是好日(にちにちこれこうじつ)。 つづく。